やりたいことじゃなくて、向いていると言われたこと・・・

R25」2008.5.8号より。
かなりのアニメーションファンならきっと映画監督の押井守の名前は聞いたことがあるかもしれない。彼はもともと学生時代から映画が好きで、そのためか卒業まで6年間かかっていたのだ。その後もかなり成り行き任せの生き方をしてきたものの運命のようなものが彼をやはり映画の世界に連れてきてしまったようだった。
大学卒業後に得た仕事はラジオのディレクターだったが、いきなり番組を作らされるはめになり疲れ果ててリタイアしている。その後小さな会社で事務をするもののヒマ過ぎたという。当時25歳で結婚していた。
そして一生の仕事としては、唯一の資格だった美術教師になろうと決めたのだ。ところが、願書を預けた友人が出し忘れてしまい来年まで待たねばならなくなったのだ。
どうしようかと国分寺を歩いていたら、ある募集の張り紙が目に入ったのだ。それはタツノコプロというプロダクションだった。その時26歳だった。しかしこの時が実はターニングポイントだったようだ。向いていると言われてやってみると飽きなかったという。
3年で監督になっている。自分はいろんな人間を集めて旗をふったり説得したりして何かを作ることが好きだったと振り返る。仕事はいくらでもあったようだ。そして29歳の時にスタジオぴえろに移籍している。29歳だった。
彼が学んだことは、周りの人間が望むとおりのことをやってみせると、突然視野が広まるということだったようだ。とかく、私たちは自分が好きだと思い込んだことを仕事としてやりたいとは思うものの、向いているのが何かは分からないことが多い・・・のかも。

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見事に着地させることを学んだ。
R25」2008.5.8号より。

(前日のつづき)
押井守さんは、映画は飛行機で監督はパイロットだという。これはかなりわかりやすいたとえでもあった。
多くの人からの評価を実現しないと、次には飛べないことになる。またいつも調子がいい状態で飛べるわけではない。また、ことばかりは長く続かないもの。
途中、フリーになってから壮絶な墜落事故を起こしている。自分は素晴らしいものを作ったと思ったもののまっさかさまに落ちたということだ。しかし実際の飛行機ではなかったのが幸いで、3年間は干されたもののカムバックしている。
そして、どんな状態であろうとも一度飛んだらちゃんと着陸させることを学んだのだ。しかも、彼は監督としては珍しく軽飛行機からヘリコプター、ジャンボジェット機までかなり手広く操縦してきたという。
さまざまな苦労をしたことが成果につながっているのだろうか、今では原っぱだろうが滑走路だろうが見事に着地させることを学んだという。あらゆる機体を操縦すること=演出することが根っから好きだということでもあろう・・・な。
自分の仕事の分野で絶対的な自信が持てるとはすごいもの。つまり一度始めたからには自分の仕事に駄作(失敗)はあり得ないということなのであろうか・・・


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都会の緑はファッション。
JAF Mate」2008.6月号より。
対談のなかで清水國明が語っていたこと。彼は数年前から自然の中での暮らしを手掛けている。2003年には自然教室「河口湖自然樂校」を開校している。この“樂校”というのが楽しい学校というイメージをさせる。
そこでは、子どもたちに自然の体験をさせるのではなく、冒険をしてもらうという。体験というと、自然のなかの都合のいいところだけを取り出して経験する感じがしてしまうという。なるほど、それがそれが体験と冒険のこだわりでもあったのだ。
自然の厳しいところ、危険なところも同時に知ってもらい学ぶことが大事だと考えている。そのためスタッフは最低限必要なこと意外は教えないという。参加者の自分の責任が大いきこともわかる。
話がそれてしまいそうだ。清水は、街路樹の緑を都会の自然だという人がいるが、あれはファッションであって自然ではないと指摘する。その理由として落ちた葉っぱは単なるゴミにしかならないからだ。それが自然の中なら土に戻って肥料になり、他の生物の命を助けるという。
腐葉土があれば樹木や野菜がよく育つことはよく理解できる。それに引き替え都会の人工的な公園や街路樹の緑は木陰を作ってくれ、四季折々に目を楽しませてくれるが地域の中ではファッションにさえ見えてくるのは確かだ・・・な。