作家の証明となるような作品・・・

森村誠一文芸展」会場でのビデオより。
先日、町田の小田急百貨店で「森村誠一文芸展」を見てきた。会場は思ったより広くはなかったが、氏の生の原稿などがあって興味深いものだった。これは町田市の市制50周年記念事業として開催されたものだった。創作ノートや執筆に使用していたガラスペンなどの展示もあった。
会場入り口には自身が語るビデオ「作家人生と写真俳句」が放映されていた。その中で語られていたワンフレーズが上記のものだった。氏は昭和44年に江戸川乱歩賞を受賞したもののその後数年は知名度も低く売れなかったという。
そのうち角川春樹氏より新しい雑誌を創刊するので、その時に言われたことが「作家の証明となる作品を書いてほしい」ということだったと振り返っている。しかも森村氏はその言葉を気に入って即座に了承したという。そしてすぐに『青春の証明』というタイトルを思いつき書こうと試みている。
ところが返事はしたものの、1か月たっても書き始められなかったという。ついには締め切りまで30日と迫ってきてしまい、思いついたのが西条八十の詩だったようだ。そこから親子の情を絡めて『人間の証明』を書き始めている。その期間で400字詰め原稿用紙700枚を書きあげたという。
その作品は映画化されその宣伝効果もあり、森村氏の知名度はその後一気に上がったようだ。人気が出てからは何年も続けて長者番付にも登場していた。(私はそれ以前からいくつかの推理作品は読んでファンになっていた。)やはり角川春樹氏との出会いとアドバイスは大きなターニングポイントだったようだ。



別のホームページのインタビュー記事では次のようにも語っている。「例えば、私の小説『人間の証明』は400字詰め原稿用紙700枚を使って書かれています。ところが、松尾芭蕉の「夏草や兵(つはもの)どもが夢のあと」は、わずか17文字。その中に何百年という歴史が詠み込まれているのです。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

楽屋の善し悪しが舞台の出来をいかに左右するかということ・・・
「相鉄瓦版」2008.5月号より。
この号の特集は「ライブ!ライブ!ライブ!」となっていた。やはり舞台はライブで見れば臨場感がじかに伝わってくる。間接に味わうのとは心に、体に残る印象はまるで違う。
上記のフレーズはかつて司会やパーソナリティーとして活躍していた玉置宏さんの言葉だった。氏は現在、横浜ぎわい座」という公共施設の館長を務めている。そこでは気楽に落語、漫才、講談大道芸などの大衆芸能を楽しめるようだ。
ここでは全国的に珍しいルールがあった。それは公共施設でありながら、上演中に飲食が自由だということだった。それはお客さんを信頼しているという証拠でもあったのだ。要するに不必要に音を立てて舞台のジャマをするようなお客さんはいないと信じているからだ。開館した平成14年から大きなトラブルはないという。
玉置さんは今まで職業柄多くの芸能人と全国津々浦々を巡業で一緒に旅をしてきた経験から、楽屋の善し悪しが舞台の出来を左右しているかを身にしみて分かっているようだ。つまりせせこましい楽屋からは、決していい芸が生まれないという。
また逆に芸人にとって居心地がいい楽屋なら、舞台でもパフォーマンスもよくなると実感している。それは芸人さんが舞台に上がった瞬間にわかるらしい。話のノリが違うらしい。するとお客さんもそれを感じ取って前のめりになってくる。芸人とお客さんとのいい関係ができているのだ。
最後のほうのフレーズもよかったので付け加えておこう。「芸事は何でもそうですが、お客さんの目にさらされ、もまれ、そして磨かれていくものです。・・・」
以上のことは私たちの日々の仕事にも言えそうだ。“楽屋の良し悪し”とは仕事の段取りともいえる。多くの経験や失敗を通じて仕事の呼吸もコツもつかめるというものだろう・・・な。