アジア地域に六億もの字が読めない人・・・

「アニメが世界をつなぐ」鈴木伸一著より。
筆者は現在、杉並アニメーション博物館館長をしている。本業はアニメーション作家、漫画家でもあった。今から17年ほど前に、ユネスコアジア文化センターから識字教育のためのアニメの制作依頼をされていた。
そして、日本が得意とするアニメで世界に役立つ仕事をするようになっている。アジア地域には文字が読めないために貧しい生活を強いられている人が実に多くいるということにも驚いた次第。
アニメなら文字を読まなくても、見ているだけで内容が理解できるはず。人の感じるものは世界共通に違いない。そのアニメの主人公の声は日本ユニセフ協会大使のアグネス・チャンさんがボランティアで担当してくれたそうだ。
アニメはその内容により理屈ではなく、人に何かを訴え教育もしてくれる。だからこそのタイトル「アニメが世界をつなぐ」となっていたのだろう。
蛇足ながら、筆者の鈴木氏は若い頃に後に有名になった漫画家たち、赤塚不二夫つのだじろう藤子不二雄安孫子素雄藤本弘)、石森章太郎などと一緒にトキワ荘で漫画の仕事をしていた人だった。
そして、「オバQ」に登場する小池さんのモデルでもあったのだ。当時(昭和30年代)は手塚治虫とも交流があり貧しくても勢いがあったようだ。

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世界は「使われなかった人生」であふれてる。
『世界は「使われなかった人生」であふれてる』沢木耕太郎著より。


いささか長いこのタイトル自体が気になった。内容は30以上の映画の評論のようなものだった。“使われなかった人生”という表現が面白いが、要するに若い頃思い描いていた自分の夢や希望といったものだろう。
人生にはいくつかの節目があって、そのつど決断をしなければならない。その時「もしあのとき、こうしていたら〜〜」というように思い振り返ってみることもあるもの。
著者が映画評論家の淀川長治さんと対談した時のことが述べられていた。その中で「淀川さんから映画を引いたら何が残るのですか?」と訊ねていた。すると淀川さんは「あんたやさしい顔してずいぶん残酷な質問をするね」と笑いながら答えたという。
こんな一言からも淀川さんの笑顔を想像してしまう。「わたしから映画を引いたら、教師をやりたかった、という夢が残るかな」と答えている。それは沢木氏にとっては意外だったようだ。
また筆者が別の機会の対談で女優の吉永小百合さんに「もし女優になっていなかったら、どんな職業についたと思いますか?」と質問したことがあったという。すると「学校の先生でしょうか」と答えている。さらに「姉たちも教師になっているので、小学校か中学校の教師になるのが一番自然だったと思います」と付け加えている。
きっとそのようなことが使われなかった人生ということなのだろう。人は社会に出るときその時点でとりあえずその後何をやるか、どうやって生きていくかを決めなければならない。しかし、場合によっては別の選択肢もあったかもしれない・・・のだな。。。。。

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どんな人生にも分岐点となるような出来事がある。
『世界は「使われなかった人生」であふれてる』沢木耕太郎著より。
(前日のつづき)
齢をとるにしたがって、残念ながら将来の夢は少なくなっていくようだ。それに反比例して過去の思い出が多くなってくる。先日あるお寺のベンチで休憩していたら、80代のおじいさんが60代後半らしい人に懸命に昔はよかったというような思い出話をしていた。
声が大きいので隣のベンチにすわっている私にも聞こえてきたのだ。まだ自然がたっぷりとあって川もきれでそこで泳ぎ魚がいくらでも捕れたというような話をしていた。もう60年以上前のことを実に鮮明に思い出して聞かせていたのだ。
それらはみないい思い出のようだった。いい思い出を持とうとするならやはりいまそれなりに行動していなければ無理かもしれない。だらだらとした日常は大した思い出にもなりそうもない。たとえば日記を残すことがそれに当たるかどうかは分からないが。
古き良き時代・・・誰にもそれなりに昔のいい思い出はもっているだろう。たしかに私にもそう思える若いころはあった。やはり子どもの頃まだたっぷりあった自然のなかで遊んだことにも思える。
少なくとも塾や習い事に追いまくられたりはしていなかった。部屋のなかでゲームで遊ぶこともなかった。振り返ればそんな“ない”ことのほうがよかったと思える時代を過ごせたということかもしれない。(かなりタイトルのテーマと離れてしまったか)

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「ありえたかもしれない人生」への夢・・・

『世界は「使われなかった人生」であふれてる』沢木耕太郎著より。

(これも前日のつづき)
むしろ、これから書こうとしていることのほうが、「人生の分岐点となるような出来事」に近いかもしれない。ここには筆者自身の分岐点ともいえるようなことについて触れられていた。今まで沢木氏の著書は何冊か読んだことはあったがここにあった10行程度のことは初めて知ったことでもあった。
氏の分岐点は22歳のある雨の朝のことだったと振り返る。よくその日の天気まで覚えているものだ!大学を卒業して入社の決まっていた会社に向かって歩いているときのことだった。その日の明け方まで迷いに迷っていて、駅から会社に向かう途中の横断歩道で会社に入るのはやめようと決心している。
丸の内に本社をおくその会社に不満があったわけでもなかったようだ。会社員になること自体がいやだったと振り返っている。つまり入社式の日に退社する旨を告げたという。なんとドラマチックなことだろう!
結局その時が沢木氏にとっての分岐点の一つだったようだ。まあ、その後世界を放浪して一流のノンフィクションライターになれたからいいものを、ほとんどの人は妥協して会社員として一生を過ごすのではないだろうか。
“if”を言い出したら切りがないだろう。もしあの学校に入らなかったら、もしあの会社に入らなかったら、もし彼(彼女)と結婚してなかったら・・・。時には後悔、時にはラッキーとも思えることも・・・迷いながらもやはり人生いろいろ・・・かな。
いずれにしても、今がそれほど不幸だと思えなければ、けっこうそれなりにそこそこ自分にあった人生を歩んでいるのかもしれない。満足か不満足かは、やじろべえのようなものかも・・・(諦めかもしれないが・・・)