間違った読みが定着してしまった・・・

「相鉄瓦版」2008.3月号より。
“こだわりの日本語”というコーナーで北原保雄氏(文学博士)が書いているコラムの中にあったもの。気になったのは、間違った読みの代表がふだん当たり前に使っている「新しい」だったからだ。
これは「惜しい」を意味する古語「あたら」と混同されているという。それがいつしか「あたらしい」という読みとして定着したもののようだ。「新たな気持ちで・・・」などは「あらたな・・・」と読んでいる。つまり「あらた」がいつしか「あたら」に変化してしまっていた。
私は聞いたことがないが「雰囲気」を「ふんいき」ではなく「ふいんき」と誤読する人があるらしい。正しい読み方を知っていれば、実に違和感があるが、時代が経ればこれも「ふいんき」がふつうに使われてしまうかもしれない。
というようなことがここには書かれていたが、これも面白い。本来は誤りだったものが、時代が経るにしたがってなんの違和感もなくつかわれるようになる。言葉は生きもののようにも思えるな。
関係ないが、子どもの頃「しおひがり」(潮干狩り)を間違って誰かが「ひおしがり」と言っていたのを聞いたことを思い出した。また「ひつまぶし」を一瞬見て「ひまつぶし」と読んでしまったことがある。(これも関係ないか)

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先のことばかり考える前に、今までのことをじっくり振り返る。

R25」2008.3.6号より。
「自分発見ノート術!!」というタイトルのコーナーがあった。つまり、振り返ることで自分の考えからが見えてくるらしい。ここでは、久恒啓一先生(宮城大学教授)がいろいろとアドバイスしている。久恒さんは「図解」だけで有名だと思ったら、この分野(「自分史」)の研究者でもあったのだ。
「自分発見ノートはこう作る!」という部分ではまずノートに円を描いてその中心に「アナタが今までに影響を受けたものは何ですか?」と書いてその円が5分割されている。そこには1、小学生時代まで。2、中学時代。3、高校時代。4、大学時代。5、社会人時代。にそれぞれ影響を受けたものを記入していくというものだった。
ここには、たとえば、映画、音楽、漫画、文学、ゲーム、ドラマ、オモチャ、趣味、ファッション・・・自分が親しんできたカルチャーを書くといいようだ。当時のことをいくつか頭に浮かべただけで、不思議とその当時のことが思い出されてきた。結構時間を忘れてしまいそうになるな。
確かにさまざまなカルチャーは記憶をたどるキーワードになっているようだ。久恒先生はここで、「前向きに生きるためには過去の自分を振り返るのが有効だ」と述べている。その確認作業に「自分発見ノート」が有効だったのだ。
単なる思い出だけでなく忘れていた大切なことを思い出すかも。ある意味これは自分自身に関する温故知新のようなものかなぁ〜

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大人には通じる“常識”が子どもには通じない。
「伝える力」池上彰著より。
この本のサブタイトルには「話す」「書く」「聞く」能力が仕事を変える!とある。つまりコミュニケーション向上のための本だとわかる。
池上さんはNHK時代「週刊こどもニュース」に11年間出演していた。お父さん役で、お母さん役は柴田理恵さんだったのを覚えている。
その時、痛感して振り返ったのが上記フレーズのようだ。大人なら疑問を持たないようなことも子どもにはわからない。その子どもたちに、どうやってニュースをわかりやすく伝えるかで苦労したようだ。
もちろん大人だって、何となくわかったようなつもりになっているが、それを説明しようと思ってもほとんどできないことも多いはず。たとえば、今「日銀総裁」を誰にするかがなかなか決まらない状態だが、その「日銀」ひとつとっても、そう簡単には説明できない。
もともと子ども向けに作られているはずの「こどもニュース」には大人のファンも大勢いるようだ。ファンではないが私も時々この番組は見ている。そしてこの番組を通じて話題出来事の中身が理解できることも多い。
「伝える力」を高めるための基本はまず、自分が深く理解することが必要なようだ。恥をかきながら、まだまだ学ばなければならないことばかり、・・・一生ですね。


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仕事とは一見関係もなくても、工夫することは脳の筋トレみたいになるんだ。

R25」2008.3.13号より。

ロングインタビューのなかでの石原慎太郎のフレーズだった。このところ、4年目で破綻寸前まで追い込まれてしまった新銀行東京ではかなりの批判がある。連日叩かれっぱなしのためか、マスコミの前に現れる石原氏の表情には苦悩と疲れがみえる。
華々しく学生作家としてデビューして政治家、大臣ともなり50年以上もスター街道を進んできたように思える。言動は常に注目されている。体も大きく74歳のオヤジにしてはかっこよすぎる。実にエネルギッシュな印象を受ける。実際たまたま新宿西口で、迎えの車を外で立って待っている姿をそばで見たことはあるが、オーラさえ感じてしまうほど。
このインタビューのなかでも、「小説を書き続けなければ政治家としての発想は出てこなかったし、政治に携わらなければ小説家としてもとうに終わっていた」と振り返っている。同世代の人はほとんどもう書けなくなっているようだ。しかし、石原氏にはまだ長編の構想が8本ぐらいあるという。
だから氏の主張は、趣味でも何でもいろいろなことに夢中になることが大事だと述べている。本気になって趣味をやるとそこから何かが生まれてくると信じている。それは自身の経験が強く言わせるのだろう。これは手垢のついた言葉で言うなら、「一芸に秀でたものは・・・」という意味合いだろう。
自分では一流のスポーツマニアだというが、選手としては二流だったようだ。その中ではヨットに関しては一流ではないかと考えている。それはたくさんの選手が死んだレースでも無事に生き伸びたからのようだ。東京大マラソンを2回成功に導いてはいるだけに、新銀行東京の失敗だけが残念に思える・・・な。
2016年の東京五輪の招致運動は盛んだが、どうなるのだろう・・・その頃は石原都知事ではないだろうが。とはいえ、人間としての石原慎太郎はまだまだスタミナが続いていることだろう。自身「職業は、強いて言うなら“人生家”。何にでも夢中になることが大事だね。・・・」と述べているし。(少なくともこのインタビューの中では元気だったな。腕組みして苦悩の表情の写真も掲載されてはいたが)