雑木林を目にするだけで心がぐっと豊かになる・・・

「相鉄瓦版」2008.3月号より。
この号の特集は「森遊びのススメ」だった。この中で俳優の柳生博さんが「森が教えてくれたこと」と題して書いていた。その中にあったフレーズ。柳生さんは都会の生活とは別に森の中での暮らしも楽しんでいる。
東京と八ヶ岳との二重生活を始めたのは32年前のことだった。都会での多忙な仕事で肉体的にも精神的にもすり減っていくような感覚に陥っていたと振り返る。そして、次第に自然の中に生活の拠点を設けたいと考えるようになっていったのだ。それはまた子供たちへの自然教育にもなっていた。
八ヶ岳の家の周辺の人工林を手作業の野良仕事で雑木林へと作り上げていったという。そして1989年に庭の一角に「八ヶ岳倶楽部」をオープンしている。そこはアーティストの作品を展示したり販売するギャラリーとレストランとになっている。年間十万人もの人が足を運ぶというからすごいもの。
そこを訪れた人たちは、雑木林を目にするだけでも心が豊かになるようだと、柳生さんは語っている。やはり自然に囲まれると、忘れていた何かがよみがえるのであろうか・・・


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森を散歩する処方箋・・・
朝日新聞、日曜版」2008.3.2付けより。
たまたま前日柳生さんのエッセイを読んだせいか、似たような内容の新聞コラムが目に入った。それはC・Wニコルさん(小説家・ナチュラリスト)が語っている中にあったからだ。この中でちょっと興味深かったのは「英国では中高年に多い成人病を改善する治療として森を散歩する処方箋を出しています。」とあったことだ。
確かに森林の中を歩けば森林浴もできるから元気をもらえるような気もする。自宅の近所の神社裏手にはちょっとした林があるが、そこには大した広さではないが“森林浴コース”などと書かれた看板がある。夏にはそこはひんやりとして気持ちがいいことは確かだ。
ニコルさんが来日した46年前の子どもたちの顔は今より元気で幸せそうだったという。そして当時の日記には「二法ンは子どもの天国だ」と書いてあるという。それはちょうど私が子どもの頃だった。ということは、私は“子どもの天国だ”と思えるような時代を過ごしたいたのだろうか。
それが今では「川で遊んではいけません」「森に近寄ってはいけません」というような注意、警告の表示が多くなってしまった。危険とか万一の責任とかの前にさまざまな規制が厳しくなってしまった。狭い道路で自転車などで遊ぶ子どもらの姿を目にすると実に窮屈そうに見える。
地元にもあった野山や雑木林や田んぼをかけめぐっていた子どもの頃が懐かしい。今でもあぜ道やちょっとした雑木林の雑草や枯れ葉の上を歩くと気持ちがほっとする。それも自然が与えてくれた処方箋だろうか。


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他人と比べて生きていくことほど肩が凝るものはありません。

「メトロポリターナ」2008.3月号より。
これはニューハーフの実業家、如月音流(きさらぎねる)さんの「お仕事ヒント帖」というコーナーにあったもの。私たちはついつい無意識のうちに、人と何かを比較してしまいがちなもの。
この人の立場はどうだかわかりませんが、“特に女性は他人と比べる傾向が強いですよね?”と語っている。化粧をしたり、服装に強い関心を持ったり、ダイエットに励んだりの中にも、その根底には人との比較はないだろうか。
もちろん自身の健康管理のダイエットがメインではあろうが。いずれにしても妬んだり、悔しがったり、安心したり・・・そんなことは何の得にもならないか。当然ながら、そんなことは女性に限らず、男性にだっていえること。
まあ、そこそこの比較なら場合によってはいい意味でのライバル意識なら励みともなろうが。それが度を越せばかえって無意味で有害でさえあるだろうな。
落ち込むということは、しばしば誰かと比較しているときに起こりやすい。如月さんもそうならないようにと、注意している。ということは、あまり人と比べずマイペースを保てるならば、落ち込む可能性も少ないということ・・・だろうか。