味わいのあるパッケージが、喜びを演出する。

「pen」2008.3.1号より。
主役は箱の中身であるのに、その箱が素敵だったりすると中身がより楽しみになったりしてくる。どんなものが入っているのだろうという期待感だ。今はちょうどバレンタインデーとホワイトデーの中間あたりだが、いただいたバレンタインチョコの箱はどれも素敵なものだった。
中身も高級品だったようでどれもおいしくいただいた。また、それにふさわしいパッケージでもあった。だから、すぐに捨ててしまうのはもったいないと思うほどだった。品物を受け取った時の嬉しさは、そのパッケージから始まっているようだ。
日本はとくに過剰包装かもしれないが、チョコはきれいな銀紙にくるまれている。さらに素敵なデザインのしっかりした箱にきっちりと収まっている。その上からきれいな包装紙。さらにはリボンか掛けられている。実に贅沢だと思える。おまけに場合によってはメッセージカードなどが添えられたりして。これらすべてが喜びの演出をしているのだろう。
選ぶ側も、やはりできれば同じ中身なら素敵なデザインの箱を選ぶだろう。チョコレートは食べてしまえばなくなってしまうが、きれいな箱はしばらく取っておきたいと思う。そして、何か小物でも入れたいが、その中身がなかなか思いつかない・・・
またパッケージデザイナーからしてみれば、(プレゼントを)受け取った人がいつまでもとっておきたいと思うほどのものだったら成功なんだろう・・・な。


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すでに利用していた意外にいいパッケージや入れ物。

昨日、パッケージにつてい触れたら、すでに家の中には再利用しているものがいくつかあった。以前、知り合いからいただいたクッキーの中箱が年賀状やハガキを入れるのにちょうどよかった。しっかりした厚紙の箱は何年でも使えそうだ。
要するに、入れるものとのサイズが合えばしっかりして素敵なデザインの箱はけっこう重宝するもの。また、アイデア的なものとしては、ペットボトルが入っていた段ボール箱は斜めにカットすると紙や書類の整理には都合がいい。ついつい何でもそこに入れてしまったりもする。
紙の箱はいくら素敵な物であっても、外からは中身が見えないから何が入っているかちゃんと覚えておかなくてはならない。(関係ないが、透明な小瓶はその点外から中身が分かるので、いろいろな種類の植物の種などを入れてある。これも結構重宝している。)
ついでながら、これを書きながら思い出したことがあった。3年ほど前にある方から今まで飲んだことがない外国製のビールを半ダースほどいただいたことがあった。それは缶でも瓶でもなく陶器製だった。
味わい深い容れものだったので、空っぽの入れ物をすぐに捨てる気にならなかった。いずれ何かに使いたいとは思ってはいたが、結局何も利用せず2年が過ぎたので処分してしまった。
あまりグッドデザインの容器ばかり手元にあっても、そこに入れるものが見つからない場合は無駄にも思えてくるな〜。実にもったいないことだけど・・・。


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何度も使ってもらえる手提げ袋もある。
数日前には「箱やパッケージ」について触れていた。日頃手にすることが多いのは手提げ袋でもあるだろう。買った物を持ち帰った後でも有効利用できる。それを持って出かける人も多い。
最近はエコが優先されて既成の手提げ袋や専用のエコバッグを持参するとポイントやささやかな優待やおまけが特典として得られたりする。
またしっかりした手提げ袋はそのまま再度物を入れて使われることが多い。素敵なデザインのものは特に女性に好まれそうだ。有名ブランド物が入っている手提げ袋はデザインもよくしっかりした作りになっている。
自分は買ったりはしないが、高級ブランドのシャネル、カルティエディオール・・・などのものは一見してそのブランドがわかるし、何度も使えそうだ。
やはり超一流ブランドのものは定価が高いだけあって、商品価格には手提げ袋代も十分転嫁されているのだろうな。それだけで数百円はすることはうかがえる。また、買った後でも何度もまた使ってもらえば、自然とブランドの宣伝にもなる・・・か。

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和紙だけが表現可能な、柔らかで懐かしい灯り。
「pen」2008.3.1号より。
そもそも、この雑誌は衝動買いだった。表紙の特集に「紙のぬくもり」とあったからだ。このタイトルだけ見てパラパラと中身を見て気に入ってしまった。
それだけ、紙にはちょっとしたこだわりを持っていたのかもしれない。仕事や日々の生活でも毎日たくさんの紙に接している。どれもが異なる紙質に思える。毎朝配達される新聞とそのチラシもまったく異なっている。
寝室を見回せば、カレンダーや本、雑誌、メモ類などさまざまな紙に囲まれていることがわかる。パソコンに印刷する際も何種類も使っている。文字だけの時と写真印刷でも異なった紙を用意することになる。また時には和紙も使っている。もし達筆な人が和紙のハガキに毛筆で書いたらどんなに素晴らしいことだろう。
この和紙は部屋の中でも何箇所か使われていた。和室には障子、ふすま、また照明器具の傘もあった。自宅にはないが、掛け軸や色紙なども和紙だろう。また和紙を通してくる光は柔らかく温もりがあるようだ。その素朴な感じがいい。
季節によっては商店街には提灯を見かける。お祭りや盆踊りの季節にはたくさんの提灯を目にする。ただの照明ではあの雰囲気は出ないであろう。和紙でできた提灯には懐かしささえ感じられる。


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ターニングポイントは誰にでも訪れる。
「ターニングポイント」金子達仁著より。
金子氏はスポーツノンフィクションライターとしては知っていた。おもにサッカーについては詳しい。ところが、21か月にも及ぶ連載で、21人のスポーツ以外の成功者にインタビュー取材して書いてまとめたものが上記タイトルの本だった。(当初は「21世紀を超える神々たち」となっていたようだが、改題してあった。)
松本幸四郎武豊太田光矢沢永吉三谷幸喜古田敦也羽生善治春風亭小朝野田秀樹・・・といったその世界ではトップクラスの人たちをインタビューしている。ということは、事前の準備も大変だったようだ。
各界でその頂点やトップレベルに達した人たちへのインタビューは金子氏にとって未知の世界だったようだ。だから、その準備や緊張感まで読み手に伝わってくる。読んでいても実に戸惑いがあり、苦労していることが感じられてくる。またそれも新鮮な感じでもあるが。
つまり彼にとっては、スポーツ以外の人達とへのノンフィクション自体がある意味ターニングポイントだったともいえそうだ。ターニングポイントという言葉は簡単だが、その本人にとっては恐ろしく苦労だったりするだろう。それは個人の意志とは関係なく、否応なしにやってくることもあるだろう。時にはチャレンジという名目で成功しその後大きく羽ばたくかもしれないが。
金子氏は“連載で出会った才人はどんなことも「幸運だった」と感じていた”、と振り返っていたが。さて、自分にとってのターニングポイント、大げさにいえば運命の分岐点はいつ頃、どんな形でやってきただろうか・・・?意外にささいなことだったり。仕事がらみ、プライベート、出会い、別れ・・・。それともこれからか・・・

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マニュアルとレシピ。このふたつは、似通っているようで微妙に違う。
「ターニングポイント」金子達仁著より。
それまでこの二つを並べて考えたことはなかった。すべての(21人)インタビューを終えた後で、金子氏は憧れの眼差しを注がれる立場まで到達した人の人生には極めて似通った共通点が存在すると語っていた。
それが短い文章で表現されていたのがこの部分だった。たとえば、ハンバーガーショップに代表されるファーストフード店にはマニュアルしかないという。ところが一流レストランにはレシピがあったのだ。
マニュアルは作り手の想像力や個性は関係ないものだ。誰が作っても同じもの、同じサービスを提供できることが大切なのだろう。当然材料は同じものが使われる。
レシピの場合はそうではなかった。仕入れる素材はいつも完璧に同じというわけではない。それでも、いつもと同じような味を提供するのは作り手の経験、想像力でもあったのだ。シェフや板前はその時の旬の素材で最高のおもてなしを考える。
金子氏は「マニュアルは想像力を刺激しない」と振り返っている。それは各界のトップレベルの人たちが実に個性豊かな道を進んで自分を磨いてきたかを実感したからこそ出たことばなのだろう。何事も極めるのはたやすいことではなさそうだな・・・