漢字を操ることが子どもの力を引き出す。

朝日新聞」2008.2.24付けより。
天声人語のなかにあった言葉だが、これは日本語に精通する数学者のピーター・フランクルさんが言っていたこと。故国のハンガリーではノーベル賞受賞者の輩出率が高いらしい。その理由として、「ハンガリー語が難しいから」と彼は答えているようだ。
つまり、母国語が難しいことは、ある意味子どもにとっては恵みだという考えになっている。それで頭脳が鍛えられるからだろうか。もちろんそれが全てであるはずはないとは思うが。
最近はパソコンやケータイでローマ字やひらがなを入力すれば、いとも簡単に漢字に変換してくれる。こんなことに慣れてくると、いざ自筆で書こうととすると、正確に書けないことが多い。それはあえて漢字を覚えなくても済んでしまっているからだろう。
パソコンで書いていると、同音異義語の間違いが多い。「意外」が「以外」になっていることが「意外」に多いことに気づく。しばしば使う「以上」が「異常」や「異状」になったりも。しかし、それを自分がペンを持って書けば、そんな間違いは起こさないはず。
パソコンやケータイは(その機械に登録されていれば)、書けなくてもまたどんな画数の多い文字も、一発で漢字に変換してくれる。実にスピーディーだ。その楽な分だけ漢字力は落ちるだろうな。電子辞書で調べる英単語も味気ない、と思うのは昭和生まれの人間だからだろうか・・・


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ひま潰しが盛り上がると、ひま潰しではなくなる。
「暮らしの風」(朝日新聞広報誌)2008.3月号より。

“ひまつぶしの知恵”というタイトルで赤瀬川原平氏が書いていたコラムの冒頭にあったフレーズ。そういえば、最近ひま潰しをしたことがあったろうか、と振り返ってみた。ここでの“盛り上がる”とは別の表現でいえば知らず知らずのうちに熱中してしまった、という意味だろう。

確かに仕事をしている時も意外にスムーズに終わってしまうことがある。そして時間が余ってしまい適当に時間をつぶすことはあるが、それもひま潰しだろうか、とふと考えてしまった。車内で雑誌や本を読むのもひま潰しともいえそうだが。

むしろ、ここでは休日に何もすることがなく、ただぼんやりと過ごす時間のことを赤瀬川氏はいっているようだった。そう考えると、毎日いろいろなことに追われて過ごしているような気もする。だからたまに何も予定がないと実にうれしい。

子供らも毎日習い事や塾、学校の宿題、行事などで忙しい。いつも何か時間に追われているようだ。かわいそうにも思えてくる。自分が子どものころはもっと時間がたっぷりあった。そして外で遊んだものだった。今のように住宅が密集していなくて遊ぶ場所もあちこちにあったものだ。


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そういえば、ひま潰しでハンドメイドのものを作ったことはあった・・・



(前日の日記の続きともなるが)ひま潰しをしながら、それがいつしかひま潰しではなくなってしまったものがあった。
個人的な話になるが、もう10年くらい前のこと。仕事で時々一筆箋を時どき使っていたが、どうもお気に入りのものがなかったので、ひま潰しに自分でもパソコンで作ってみようと思ったのだ。作り始めてみると、これが想像以上に面白いことに気づいたのだ。

慣れてくると一日数時間もパソコンに向かっていろいろな絵柄やデザインで作ってしまった。気がつくと夜中までかかって数百種類を作ったこともあった。そのうち、絵柄はイラストのほかデジカメで撮った写真まで入れ、さらには何種類もの紙を買ってきたり。もう、ひま潰しどころではなく本当に凝ってしまった!


そのうち自分では使いきれないので人にまであげるようになってしまったのだ。盛り上がりが数年間にわたって続いたのは自分でも驚きだった・・・な。それからハンドメイドといえば、小型のカレンダー、クリスマスカード、開運招福シール、なども勝手に盛り上がりながら作ってしまったな。

と、まあ思い出しながら書いているうちにまた勝手に盛り上がってきそうなので今夜はこの辺にしておこう・・・(もしかしたら、この日記もひま潰しが始まりだったかも)