光合成をすると柔らかい発想になっていく。

「ハンズスタイル」2008.2月号より。
植物のことではなく、人のことだった。この前には次の言葉があった。「夜型の生活になると性格もギスギスしてくるし、〜」インタビュー記事の中で森山」直太朗さんが語っていたこの部分のフレーズがちょっと気になった。
この記事が掲載されていたのは東急ハンズが発行しているフリーペーパーだった。たまたま先日、東急ハンズに行ったときに手にしたもの。30ページだったが、ハンズが取扱う商品の写真や説明とともに軽い読み物となっていた。ほとんど知らない商品が多いことにも気づき、同時に商品知識も少しは増えそうな気もする。
直太朗さんはミュージシャンという仕事をしているせいか、表現もユニークで面白い。人間に対して“光合成すると柔らかい発想になる”などはなかなか思いつかない。これは日が昇ったら起きるという生活が基本で、夜中に作る曲よりもむしろ昼間に作る曲のほうが柔軟な考えができるということらしい。
このことは何となくわかる。休日の朝、目覚めたときとりあえず何もすることがないときベッドのなかでボーっとしていることがある。そしてそんな時の方が、いろいろ新しい発想が浮かんでくるもの。朝から空模様がどんよりしている時より朝日を感じた時のほうが一日のスタート気分もいいですね。
一日働いて夜になってからの疲れた頭じゃもう何も考えたくもなくなってしまう。とは言っても、なかなか朝からボケーっとできる」時間は少ないですがね・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
クリエイティブって、一定のストレスがないと成り立たないものだと思う。
「ハンズスタイル」2008.2月より。
これも前日と同じ森山直太朗さんの言葉だった。曲を作ることはまさにクリエイティブな仕事だ。しかし、彼にとってはその際ある程度のストレスがある方がいいようだ。
ここでいうストレスとはプレッシャーのようなものかと、思っていたがそうではないらしい。意外にもそれは「部屋の散らかり具合」だった。きっちりと整理整頓された部屋のなかで作るよりも、むしろ程よい散らかりがあったほうが曲を作るモチベーションになるという。
例えば「天井のシミを見ながら自分の心とリンクするというような」と述べている。こんなことに気づくこと自体ミュージシャンらしい。私の部屋などいつもかなり乱雑に本や雑誌、紙類などが置かれている。パソコンを載せてある机の上も雑多なものが積み重ねられている。
でもそんな部屋にも慣れっこになっているから、別にストレスも感じないのだろう。こんな感性じゃ、とれもクリエイティブなことなどできないか・・・

////////////・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本は「自然音痴」になってしまった。
朝日新聞」2008.2.10付より。
“朝日求人”の「仕事力」というコーナーで作家のC・Wニコルさんが「意識の中にも自然を取り戻せ」と題して語っているなかで気になったもの。ただし上記のフレーズはかつて、ほぼ30年ぶりにフィリピンのルバング島から帰還した小野田寛郎さんが述べた言葉だった。
ニコルさんはこの言葉を耳にした時に、作家としてまた何か書かなくてはならないという思いを強くしたと語る。彼はもともと自然や環境に対して実に強い関心を寄せている。そして、日本の土を踏んだのは22歳の時で45年前のことだったという。その時の日本の自然の美しさは衝撃的だったと述懐している。
ところが、その後かなりの勢いで森や川が破壊されてきたことを嘆いている。それは私たち日本人も同じ思いなはずだろう。便利さや快適さを手に入れる代わりにいろいろと失ってきた自然環境も多い。
私の今住む家は20年になるが、引っ越してきた時は周辺に空き地や林がかなりあったがが今はすべて家で埋め尽くされてしまった。実に周辺の環境の変化は大きい。子供のころの田んぼや川や林で遊んだことは記憶の中にしか残っていない。
タイトルのフレーズ戻りますが、長年の間自然のなかで暮さざるを得なかった小野田さんにとっては、どんどんと失われていく日本の自然を見て「自然音痴」と思えたのでしょうね。たまに地元のサイクリングロード沿いの川を眺めるとたくさんの大きなコイやカルガモの姿をみるとほっとします。きれいな川には命を感じますね。

//・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

好きなだけ眠り、気ままに街を駆け抜ける姿、・・・
「メトロポリターナ」2008.2月号より。
この号の特集は猫だった。タイトルには「しなやかにしたたかに、猫」とある。実に端的に猫を表現している。猫は犬に比べて実に自由に道や広場や庭や細い塀の上や屋根の上までも当たり前のように歩きまわる。また狭いすき間もすり抜けてて行く。
いろいろなホームページやブログを拝見していると、ペットは大きく犬派と猫派に分かれているようだ。私はどちらでもないが。ペットとして飼っている犬や猫も家族の一員であるのだろう。可愛がっているペットの写真からはいろいろな表情を楽しめる。また自身では飼っていなくてもかわいがる人は多い。
犬の場合は、外にいるときはロープやクサリにつながれていることが多い。たとえ庭に放し飼いになっていてもジャンプして逃げ出せないほどのフェンスに囲まれた中にいる。しかし、猫のほとんどはクサリにつながれていないし、たとえ壁やフェンスに囲まれていようともよじ登って越えてしまう。
ふらっとどこかへ消えてしまい、また音もなく戻ってきたりする。家族に慣れてくるとすり寄ってきて膝の上に乗ってくる。子供のころ実家にいたので少しはその習性は覚えている。不思議な生きものだ。
今でも繁華街の裏通りでもじゃれあっている姿をしばしば目にする。きっと誰かが餌をやって飼っているのかもしれない。自宅の周辺には野良ネコもいる。しかしもしかしたらどこかの飼い猫が日当たりのいい庭に遊びに来ているのかもしれない。それらは習性からか逃げ足が早い。時々庭のどこかへフンをされて困っている。
飼い猫は餌をちゃんともらえるのでのんびりしている。中には車が近づいても動きがゆっくりのもののいる。貫禄さえ感じさせる。もしペットとして飼っているなら、他人の庭に勝手に遊びに来てもらっては困るんだがな〜〜〜