「職人やデザイナーも本当はすごい確率で失敗している」

「丹精で繁盛」瀬戸山玄著より。
この本の中にはさまざまな職種で働く専門技術や独自のノウハウを蓄積した人たちの取材が丁寧に描かれていた。そのなかで日本の伝統職人技術に独自の挑戦で成功した左官職人、狭土(はざと)秀平さんの話があった。最近では有楽町にできている外資系豪華ホテル「ザ・ペニンシュラ東京」の壁面を仕上げていた。それは彼を含め8人の飛騨高山からきた職人によるものだった。
その最初の部分で筆者の瀬戸山氏が「人が真似できない物づくりの技を磨いて身につけていたら、もっと別の生き方も開けていたのではないか」と若い頃に妄想を抱いていたと語っているのが印象的だった。そして、それを実現していたのが狭土さんでもあった。現在は1年先まで東京での仕事の予定が詰まっているという。とはいっても、そこに至るまでは苦労の連続だったようだ。
自分では満足できない出来栄えではあっても、みんながいいと言って救われる場合も多いらしい。一般の人から見れば、それが失敗か成功かもわからないためであろう。それだけ自分のなかの完成度のレベルは高いともいえそうだ。有名デザイナーの作品だから絶対にいいとは限らないということになる。「むしろ失敗の中に成功例が残っていくに過ぎない」とも振り返っている。
物づくりの際、大道をいくと、結局オーソドックスで常識的なものになってしまう。だから、新しい物を作ろうとするなら、大道から外れる勇気も必要になってくる。創造をつかさどる右脳と論理思考の左脳のバランスが右6.5、左3.5がいいとこの左官職人は語る。誰もが認め感動できる丹精込められた仕事はこんなレベルから始まっているようだ。

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何か新しいものに出会うと、「見る前に飛んでしまえ!」と思う・・・
「相鉄瓦版」2008.1,2月合併号より。
俳優の大杉漣さんが言っていたこと言葉だった。この号の特集は「人生は五十歳から」というタイトルが付いていた。大杉さんは現在50代後半にさしかかっているが、実に前向きにこれまでの人生を歩んできたようだ。この言葉がそれを象徴している。
大杉さんは53歳の時に「ライフ オン ザ ロングボード」という映画に出演している。これは55歳の男性が役の中でサーフィンをすることになっていた。実際はそれまで大杉さんはサーフィンをしたことがなかった。しかし、とりあえずやってみようというチャレンジ精神で練習をしている。
実際やってみると、こんなに楽しいのか!と実感している。撮影の合間の練習では上達はしないものの、サーファーの気持ちがわかってきたという。映画のクライマックスのシーンではボードの上に立つテイクオフができなければいけなかった。
ところが、それまで一度もテイクオフには成功したことはなかったのだ。スタッフは代わりのテイクオフをする吹き替えの人を用意していたが、大杉さんは監督に自分に「やるだけ、やらせてほしい」と直訴している。心の中では当然ながら不安があったようだ。
やってみた結果、十数メートルながら立つことができたのだった。役のなかの主人公が喜びを爆発させる場面があったが、それは演技ではなかったという。素の表情の自分が映っていたようだ。大杉さんはこの役を通じて「一歩踏み出すことの大切さ」をあらためて教わったと述懐している。
これは“石橋を叩いて渡る”と対局にある発想でもあるかな。また映画の撮影が終わったあとでも、サーフィンを趣味として続けているという。仕事を通じて得たものを趣味としてしまっている。転んでもただでは起きない・・・か。すごい!

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すでに自分の中にある財産よりも、与えられたものをどう財産にしていくか。
「相鉄瓦版」2008.1,2月合併号より。
(前日の続き)大杉さんは「できないかもしれないけど、やります!」と宣言して、いままで様々な役にチャレンジしてきたという。つまり、今できることよりも、むしろその仕事を通じて何かを得ようとするほうに魅力を感じているようだ。
役者を仕事としている限りは、歳に関係なく右往左往していたいという。実に前向きな考え方だ。趣味は昔から続けているサッカーやサーフィンのほかにバンド活動もやっているという。高校時代に一時弾いていたことがあるらしいが、45歳からまた再開していた。
このバンド活動は仕事でもあるようだ。もし、ギターを運ぶ時にも事務所のスタッフに「スタジオ抑えて運んどいて」と頼むこともできる。しかし、オフタイムで楽しむものは一から十まで自分の手でやりたいという。それはそこで味わう喜びの気分をすべて自分のものとしたいからのようだ。
この考え方はよくわかる。趣味に近いものを人の手助けでやってもらってもその楽しみは半減してしまうだろうし。ある時若いバンド仲間の中にギターを背負ったオッサンが座っている姿を見たという。それはなんと大杉さん自身が鏡に映っている姿だったのだ。
それを見て情けない気持ちになったようだが、そんなかっこ悪い自分をも楽しんでしまえと思ってるようだ。どんなこともいいように解釈できるのもまた人生を楽しむポイントかもしれない・・・な。


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囲いを取ることを可能性ととらえるか、不安に思うか・・・
「相鉄瓦版」2008.1,2月合併号より。
このあとには「・・・その後の道のりも大きく変わってくると思います」と木村政雄さんは言っている。自身、56歳のときに中途退社してその後独立している。そして、会社の囲いを取った際に「今まで以上に広い世界が待っている」と感じたようだ。
以前も何かで読んだことがあるが、数年前、倒産した一流証券会社の部長さんが再就職活動をしているとき、就職斡旋所で「あなたは何ができますか?」と聞かれ「部長ならできます」と真顔で答えたそうだ。
また、木村さんが名刺交換をした際に「元○○物産」と記された名刺をもらってわが目を疑った経験もあるという。やはり長年勤めたところは、やめても通用すると感じているようだ。むしろ大事なのは目の前にいるその人自身だろう。
そういえば、木村さんは2003年に世の中を元気にしたいということで「有名塾」という人間力養成講座をスタートしている。また2005年には「5L」という団塊の世代向けにフリーペーパーを創刊していた。私もそれより後の世代ではあるが、1年間購読していた。
その5Lとは人生が10L(リットル)すれば、五十代はまだその半分の5Lだという意味もあるらしい。さらに、5つのLはliberal,laugh,love,link,liveを表していて「寛大な気持ちで、笑い、恋をし、人とつながり、いきいきと人生を過ごそう」というメッセージを込めているという。
自分のためにしたことが、結果的に社会のためになれば理想的なんでしょうがね・・・