「こだわり」という奇妙な流行語。

「丹精で繁盛」瀬戸山玄著より。
この本のサブタイトルには“物づくりの現場を見にゆく”とあった。ところが、この筆者はただ外から見るだけではなく、実際に自身で体験までもしていた。東京のある完全無農薬の有機栽培をしている農園を観察するため近所に引っ越しまでしている。そしてその農園で3年間も野菜作りを手伝っていた。
その現場での体験でより丹精という言葉の意味が理解できたようだ。しばしば、「こだわり」という言葉がを耳にする。かつて、こだわるという言葉はあまりいい意味では使われていなかった。「まだそんなことに“こだわっている”のか」などと。しかし、最近ではいい意味で用いられていることのほうが多そうだ。「こだわりの食材」「私のこだわり」など。
しかし、「丹精をこめた」という場合には、決して悪いイメージはない。むしろ、丁寧で心がこもっているような意味合いがありそうだ。「丹精をこめたお米や料理」なら、しっかりと味わって食べてみたいと思う。「こだわり」に比べるとずいぶんと気持ちがこもっている感じがする。もちろんこの言葉も自分から言い出すものではないだろうが。
そうすると作り手本人が「こだわり」などというとかえって信用できなくなってくる。筆者は、工夫と苦労を重ねた末に独自の繁盛への道を切り開いた方たちを丹念に取材している。一見地味なテーマではあるが一気に読んでしまえるのは、物づくりにかかわる人のアイデアや迫力を感じたからかもしれない。