日本の野球は、プロ野球より学生野球が先・・・

「人脈より人望のある人が成功する」中谷彰宏著より。
先日たまたまある資料を見ていたら、プロ野球連盟が結成されたのは1936年(大正11年)だということを知りました。また、東京六大学野球が結成されたのは1925年だったのです。
さらに、もっと古いのは今の全国高校野球選手権大会(当時は中等学校)だったのです。これは1915年(大正4年)に第一回大会が行われていました。決勝戦の結果は、「京都二中2−1秋田中」でした。
プロ野球連盟が結成された年には、全国中等学校野球大会はもう第22回、選抜大会は第13回を迎えていたのです。この中谷氏の本によれば、早稲田大学の野球部が初めてアメリカ遠征をしたのが、1905年といいますから、もう100年以上前のことでした。
そして、早稲田大学の野球部がアメリカに遠征して勝ったのはリトルリーグ相手の時だけだったようです。しかし、学んできたのはエール交換という応援の仕方だったようです。それは、現在になっても野球を見に行くとその光景を見ることができます。
応援はされるとうれしいものでしょうが、する方も結構楽しいものですね。とくにそれが母校の応援ともなればかなり力が入るもの。これを書きながら、自分も20、30年前には神宮球場へ母校の応援によく行ったことを思い出した次第。

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「明日は勝てよ」という応援・・・
「人脈より人望のある人が成功する」中谷彰宏著より。
応援と言ってもただ言葉だけや気持ちのこともあるでしょうが、とくにスポーツの応援には体全体で表現する派手なものもありますね。Jリーグが活発な地元では、ひいきのチームカラーのTシャツを着て顔にペイントを塗りたくり、盛んに動き回っている様子を目にします。
最近ではプロ野球のスタンドでも行われるようになりましたが、ウェーブという応援はサッカーから来たものでしたね。そんな様子は応援すること自体を楽しんでいるようで、実に健康的だなという印象さえ感じられますね。しかし、あまり熱狂的に勝ち負けにこだわり過ぎると暴動も元にもなるようですが。スタンドでのいさかいもたまに目にします。
また甲子園ではよくPL学園の生徒全員によるプラカードで絵文字を作る応援が印象的です。それは芸術にさえ思えますね。たんい応援団が指揮をとって声を張り上げるだけでなく、生徒全員が統一された応援も見ごたえがありあます。
応援の仕方はスポーツによってさまざまで面白いことに気づきます。たとえば、変わったところでは大相撲で横綱が負けた時には座布団が土俵に向かって投げられます。これも実は応援の一種だったのです。これは負けた横綱へのブーイングでありまた「明日は勝てよ」という応援のようです。と、同時に横綱と負かした力士へのオべーション(声援)でもあったのでした。
やじ馬でもなんでも声を張り上げたり、体全体で表現できる応援があると楽しそうですね。その前に自分がその競技に関心がなければ応援もできませんがね。


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「同一物との接近遭遇」で恥ずかしい思いをすること。
「衝動買い日記」鹿島茂著より。
上記のカッコ内の言葉だけだと、なんだか抽象的で意味不明な感じもする。もっと具体的に書けば次のようになる。〜〜とくに女の人の場合に当てはまりそうだが、外を歩いているとき同じ洋服を着ている人に出くわしたらどうだろう。きっと、嫌な気持ちになることが想像できる。
もし、同じブランドのデザインであっても色や柄さえ違っていれば、ややほっとするかもしれない。当然既成品なら同じものは大量生産されているので、まったく同じものを着ている人に出会うことも当然ありえる。
でも、男の場合はどうだろう。背広を例にとれば、どれも似たりよったりなものだ。一番多いのは濃紺かもしれない。数メートルの距離からならどれも同じように見えて当然だ。
そんなものにいちいち気を使っていられない。むしろ制服、作業服というイメージでスーツを着ている人も多いに違いない。せいぜい変化をつけるならワイシャツとネクタイくらいなものだろう。そういえば、約25年前にまったく同じネクタイを結んでいる人に電車で出会ったことがあるが、やはりその時はがっかりしたものだった。
とにかく働いている女性は通勤時などには、頻繁に異なるバリエーションをつけている。自らの気分転換もあるだろうが、やはりどこか人とは異なる個性的な洋服を着たいという気持ちもあるのだろう。男女関係なく「同一物との接近遭遇」はできるだけ避けたいという気持ちはあるはず。
もし、同一の洋服や服飾品を見かけてこちらが恥ずかしいとかガッカリしたと感じたなら、きっとその相手も同様な気持ちかも・・・な。