「贈りもの」を「贈りごと」に変えてみては・・・

「メトロミニッツ」2007.12.20号より。
要するに手にするモノではなくて、素敵な時間を過ごすということを提案している。その時間は心を揺さぶられるほどの時間であるほど価値があるといえる。もちろんそんな時はタダでは手に入らない。
いろいろなチャンスや経験をプレゼントするとでも言ったらいいだろうか。楽しい時間を共有することでコミュニケーションが生まれる、それこそがギフトだというわけだ。それをビジネスとしているところがあった。
「贈りごと」というウェブサイトには例えば次のようなものが提案されていた。
「浅草・老舗料亭で味わう会席料理と江戸文化」の商品内容は「茶寮一松会席料理(2名様・個室)、食事の途中で、“振袖さん”の優美な舞を鑑賞できる。人力車での浅草観光・浅草土産」。所要時間は3時間。
「恵比寿・プライベートダンスレッスン」では「クラブモニカ」貸し切りスタジオでのダンスレッスン(90分)(2名様 ソシアル・サルサ・フラからお選びいただく)レッスン後の会員専用ラウンジ使用料及びお飲み物代、記念写真。
もうひとつおまけに、「トップツアープロコーチ谷将貴のプライベートゴルフレッスン」には次のようなコピーがあった。「あなたが持っているゴルフの悩みを解消し、正しいスイングでスコアアップが期待できるほかにはないプライベートレッスンです。」内容は「練習場レッスン(ドライビングレンジ・アプローチ・パター)&9Hコースレッスン」となっていた。
気になるプレゼントの価格は言わぬが花かも。もちろん、モノではなくコトを贈ろうと思えば、そのアイデアは無限にあるだろうが。いい思い出はかなりのプレゼントになりそう。しかし、そのお返しも必要かも・・・

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クリスマスと正月の賞味期限。

ふと、思いついたこと。極めて感覚的なものだが、どちらがより長く楽しめるかと考えた場合やはりクリスマスではないか、と思った次第。実際街にイルミネーションが点灯されるのが11月の第1週目あたりからが多いようだ。そして、商店街やデパートでは一斉にクリスマスツリーやデコレーションがあふれ、クリスマスセールも始まる。
それは12月25日までの約1か月半にもおよぶ。12月も半ばを過ぎると、子供たちは今年のサンタには何をねだろうかと、そわそわし始める。それを聞いた親はびくびくし始めるかもしれない。一部の大人たちは場合によってはホテルでディナーショーや食事を楽しんだりもする。
またプレゼントには今年一年がんばった自分にご褒美という口実で自分に買い物をすることも考えられる。そして、家族でクリスマスイブか当日にはケーキやいつもと違った食事を楽しんだりするのだろう。
また26日からは、街はがらっと正月へ向けての雰囲気に包まれる。スーパーやデパートでは正月用のしめ縄やお飾りが売り出される。またお節料理の材料を買い求める人でも店はあふれる。最近ではどこどこのホテルや料亭のおせちも飛ぶように売れている。配達してもらうだけで済んでしまうお手軽おせちでもある。
年が変わって元旦からの数日間はお雑煮やおせち料理を食べて過ごすことが多い。初詣も正月らしさを味わえるひと時だろう。しかし、それも7日までで、正月気分は10日も続かない。しかし、クリスマス時のケーキと比べれば、正月の餅の賞味期限は長く楽しめることは確かだが・・・


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正月はテレビの中からやってくる。
「日本人の一年と一生」石井研士著より。
すでにかなり前からNHK紅白歌合戦や民放の格闘技などのテレビ番組は大晦日の(テレビ内の)行事の一つともなっている。個人的には格闘技のほうを毎年見てしまうが。もちろん、そんなテレビ番組には背を向けている人も多いだろう。
晦日だって仕事をしている人は大勢いる。先ほどのテレビ番組に登場しているメンバーやそれを裏方で支えている多くの人たちでもあるだろう。テレビに限らず、交通機関、流通業の人々も働いている。
そして、「ゆく年、くる年」というテレビ番組があって、年内はお寺の除夜の鐘などを響かせる。また年が変わると画面には多くの人で賑わう神社の風景を映し出す。いかにも正月の雰囲気を感じさせる。
また早朝になると、晴れ着姿の司会者やお笑いタレントたちが正月特集のバラエティ番組を繰り広げる。その半分は暮れのうちに撮りためた録画であろうが。そして、2、3日には温かい部屋のなかで、寒い外で行われている『箱根駅伝』を酒を飲みながら眺めて過ごしたり。(これは自分ですが)
つまり、初詣以外はテレ寝でだらだらと過ごす日々が、自分の毎年の正月かも・・・

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元気があれば運もついてくるはず。
R25」2007.12.20号より。
インタビュー記事のなかでアントニオ猪木が言っていた言葉。彼がいうと何となくそうだろうな〜って思えてくる。以前はよく、元気があれば、何でもできる、なんていってたが。
怒った時と渡った時の顔の表情がこれほど極端に異なる人は少なそうだと思える。かつてプロレスのリングで相手選手を睨みつけているときはまるで仁王のようだった。そして、「なんだコノヤロー、バカヤロー!」と叫んでいたものだった。しかし、テレビのバラエティ番組に出ているときには優しい声で笑顔が絶えない。しかもヘラヘラと笑い続ける。まるで別人だ。
もう、10年以上前だろうか、また別な表情の猪木に接したことがある。それは2度目の選挙戦(参議院選だったろうか)に出馬した時だった。たまたま新宿の東口で回っているとき車から降りて握手をしていたので、私も握手したがその時には陽に焼けてはいたがなんだか疲れきっていたようだった。うつむき加減で握手した手には力がこもっていなかったのだ。私はこれが猪木かよ、と心のなかで思ったものだ。その選挙では落選していた。
現在は総合格闘技戦は当たり前になっているが、そのパイオニアアントニオ猪木でもあったのだ。選手としては引退したものの、64歳となったいまでもいろいろなものにチャレンジを繰り返している。今はプロデュユーサーとして新団体を設立して旋風を巻き起こそうとしている。
彼自身はめちゃくちゃうんがいいと思っていると語る。それは力道山がわざわざ地球の裏側まで迎えに来てくれたからだという。もし、力道山との出会いがなければ、猪木の名前も存在も知られなかったかもしれない。力道山が戦後の日本に元気を与えたように、プロレスがみんなに元気を与えたいという夢を持っているようだ。
猪木の言葉では“細胞にビンタを入れる”と表現している。それは、興行を持続するのは難しいが、ちょっと気を抜けばしぼんでしまう風船に、新しいアイデアと闘いという空気を送り込むことを繰り返すことのようだ。時には“俺は運がいいんだ!”と思いこむことも必要そうだ・・・な。


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年輩者が若い人に対して絶対的に優位に立てるのは、・・・
R25」2007.12.20号より。
ここで、「ねんぱい」と打ち込んで変換したらいきなり「年配」と出てきた。実際は「年輩」だったのだ。しかし、意味を調べてみるとどちらも大した差はないようだ。つまらない前置きになってしまった。
若い人でも「昔はよかった・・・」などという言葉を耳にすることがある。その人にとっての昔っていったい何年前のことだろうといつも思ってしまう。60代、70代以上の人が昔を振り返るというのならわかる。それにしても、昔はよかったということにはいろいろな意味合いが含まれていそうだ。
精神科医香山リカ先生によると、「年齢を重ねると今の時代についていけなくなるのではないか、という不安になる・・・」そうだ。それは理解できることでもあるな。そう考えれば、若かったころはそんな不安もなくよかったと思えたりするものだな。
また、べつなところでは「オレはお前が知らないいい時代や大変な時代も知っているんだ」と優越感も感じる一面もあるようだ。
それも納得できる。振り返ってみれば、今では引退してしまった現監督としてしかしらないホークスの王監督や長嶋氏がONと呼ばれていたころの現役時代を知っているのはやや年輩者の特権にさえ思えてくるな。また大打者だった野村監督や熱血投手だった星野日本代表監督の現役時代も思い出すことができる。三冠王を三度獲得した落合監督の現役時代も懐かしい。
今の若者にとってはメジャーで活躍するイチローや松井選手をリアルタイムで観たことが自慢できることだろうか。時には昔を懐かしがることは、人生のスパイスとしてもいいようだ。まあ、昔を懐かしむほどの余裕があればいい方かもしれませんがね・・・