化学染料には出せない日本の伝統的な色がある。

「日本の色を歩く」吉岡幸雄著より。
筆者は40代を過ぎてから家業である植物染屋を継いでいた。それまでは美術工芸や染織関係の書籍の編集や広告の仕事に携わっている。そのため、全国各地に植物を求め取材した際の豊富な知識と家業を継承したあとの実践により味わい深い旅のエッセイとなっていた。言葉を換えれば客観と習慣がほどよくバランスがとれていて心地よい読後感さえ感じられた。
それにしても日本の伝統的な色は実に豊富で微妙に出来上がっている。それは日本人がそれだけ感覚的に優れているということにも思えた次第。手先が器用だというのとどこか共通していそうだ。現代では化学染料を使って簡単に色を染めることができる。しかし、古い時代にじっくり時間をかけて植物から染めた色彩には本物の色の強ささえ感じられてくる。
「赤の色を歩く」という章では、800年近く歳月がたった鎧兜の例があった。年数がたったため損傷が激しかったようだ。そして今から100年ほど前の明治36年1903年)に修復がほどこされていたのだ。しかし、一世紀を経た今では、補修された部分(布地)は退色して淡くなってしまい「茜色」というより珊瑚色になってしまっているという。
ところが平安時代に染められた茜色はいまもなお染め上げられたばかりと思えるほどの彩りをたたえているようだ。(そのカラー写真も掲載されていた)自然の植物から創意工夫、苦労の末染色されたいにしえの工人の技術には驚かされる。また、こんなところにも本物はうそをつかないものだと感じてしまう。

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高級なものは、その原料を自然から採っている。
「日本の色を歩く」吉岡幸雄著より。
フランスのシャネル社の化粧品部門のクリエーション・ディレクターが新しい口紅を開発する一環として「日本の赤」を探索することがあった。その際筆者の吉岡氏は家業の工房を案内したという。
すると、ディレクター氏は並べてある染料の見本をつぎつぎに手に取り匂いを嗅いだり、口に入れていたという。好奇心が強くなければこういうクリエイティブな仕事には向かないのだろう。そして、吉岡氏は赤を染める染料や技術について説明したという。
話をするうち、シャネル社では口紅をはじめとする化粧品の色素は、いまでは化学的に合成されたものがほとんどだということだった。ところが、高級なものになると、その原料は自然から採っていることがわかった。
日本でも口紅は今日では化学的な色素で作られているが、かつては紅花から取り出した色素を使っていたようだ。シャネル社のようなブランドも化学染料が開発されたあとでも、自然界からの「赤」を高級品として造りつづけていることにもちょっと驚かされる。
その赤は「コニチール」というカイガラムシの一種で、ウチワサボテンに共生する虫だったのだ。南米ペルーでは今でもさかんに栽培飼育されているようだ。日本でもコニチールはペルーやメキシコから輸入されていたのだ。
そして、食品の着色に使われていた。カマボコ、トマトケチャップの赤味はそれだった。またこのような自然の赤は安全でもあるようだ。時どき色鮮やかな食品に出くわすことがあるが、いかにも合成着色料が使われているような気もする・・・な。

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日本の贈る習慣はついていくのが大変・・・
「ENGLISH JOURNAL」2007.11月号より。
こう言っているのは日本の大学で教えるアメリカ人の英語講師だった。たしかに外国から考えれば日本にはいろいろな行事にからんだ贈り物の儀式は多そうだ。それに引き換えアメリカなどでは個人的におこなう誕生日やクリスマスなどのパーソナルギフトを重要だと考えているのだろう。
今はちょうどお歳暮のシーズンになっている。これはパーソナルというよりはむしろ形式的な感じが多そうだ。私などにも送られてくるが、やはりまたお返しをするようにしている。振り返ってみれば、生まれてから亡くなったあとまで贈り物は絡んできそうだ。
誕生、七五三、入園、入学、卒業、成人式、就職、結婚、出産、新築、お餞別、お中元、お歳暮、引っ越し・・・さらに歳をとって転勤、退職、還暦、喜寿、・・・などと人生にはいろいろなステージがあるもの。その度に現金が動き、お返しとしての内祝いがあったりする。それも当然贈り物ということになるだろう。
それから、旅行などに出かけたときにはたいていお土産を買ったりするもの。仕事の同僚、親しい友人、家族、ご近所などへと。誰に何を買って帰ろうかなどと考えているうちに自分へのお土産を忘れてしまうこともあるだろう。
また、変わったところではお詫びというのもあるかもしれない。仕事上でも、個人的にでもしたりされたりはあり得ることだ。そんな時の手みやげにもモノは必要だったりする。菓子折りだったり、タオルだったり。家の壁の塗り替えだといえば、工事業者からお隣数軒に迷惑料としてか挨拶にタオルが配られたり。
こんなふうに、贈り物をしたり、されたり機会は非常に多い。しかし、日本人はそんな風習も自然に身につけてしまうのかもしれない。海外ではこれほど頻繁に現金や贈り物が動くとは考えられない。だからこその上記フレーズなのだろう・・・な。

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あっても邪魔にならない贈り物。
前日「贈り物」について触れたら関連していろいろなことを連想してしまったので、そのことについて書いておこうと思った次第。
最近は豊かになったせいか、贈り物をいただいても、しても同じようなものはすでに家にあったりすることが多い。たとえば、贈答品を送ったとしても大き過ぎるものは邪魔になるだろうし。生鮮食品だと冷蔵庫に入りきれないほど重複しているかもしれない。また好みでなかったり、必要のないものかもしれない。
贈るものを選ぶのは面倒になってくる。そう考える人が多くなったせいか、結婚の引き出物や香典返しにはカタログによるギフトを選ぶ人が増えてきたようだ。それなら相手に好きなものを選んでもらえるという心遣いからだろう。
そういえば、どこかの会社の創立何十周年かの記念品にそのカタログギフトだったことがある。それなら贈る予算に合わせてカタログを選べばいいわけだからラクなことは確かだろう。ただし、選んだものが食品なら食べてしまえばもうおしまいになってしまう。記念品とはいってもやや味気ない気もするが。
贈り物とはいってもモノとは限らない。現金だったり、図書カード、商品券、ビール券、旅行券だったりもするだろう。ある知り合いの工務店の社長がお世話になった銀行の支店長に品物に商品券(数十万円)をつけてお歳暮を贈ったらしい。すると、その支店長はあわてて商品券だけを返しにしたそうだ。
やはり、現金に近い商品券を数十万円だとびっくりしてしまうのだろう。とくに金融機関では支店長や社長方針で金額にかかわらず贈答品は受け取り辞退を宣言しているところが多そうだ。贈る側はお世話になったお礼とは思っていても、相手には負担に思うこともあるのだろう。
いくら金券類は便利で邪魔にならないからといっても、贈り物としては難しい時もあるだろう。またしばしば贈賄の元と考えられたりもするだろう。民間でもお役所がらみでもしばしば、賄賂は新聞、テレビなどのマスコミを騒がせている。今も連日新聞紙上を賑わしていますね。贈賄は昔から行われていることで、これからも永遠に無くならないことでしょうね・・・

(蛇足)
ところで、こんなことを書いていたら、実に多くの「貝へん」があることにも気が付きました。昔から貝がお金の役目を果たしていたことは想像できますね。ついてに漢和辞典を開いてみました。
子安貝のから(殻)の形にかたどったものが貝となったようです。中国では周代の中ごろまで、貝が貨幣の役目を果たしていたのが理由のようです。贈賄、賄賂など両者ともだった。その他、貯金、預金、財産、販売、貨幣、売買、費用、賃金、購買、賭博・・・