素晴らしい作詞家は一瞬で私の特徴をとらえてしまった。

数日前のこと、魂のシャンソン歌手と言われる若林ケンさんの歌をライブで聴く機会があった。そのときのトークの中でのワンフレーズ。若林さんは62歳でCDでメジャーデビューしている。この年齢でのデビューは前例がないらしい。とはいっても、プロの歌手、舞台俳優としてのキャリアは長い。
その日のステージに来る前に、車を飛ばして辻村ジュサブローさんに会ってきたという。その時、すごい人とお知合いなんだなとちょっと驚いた次第。するともう20年も前からコラボレーションはしていたのだ。彼の歌をバックに人形芝居の舞台をやっていたという。
その辻村さんは、“選んで生まれてくることはできないけれど、選ばれてきたひとのうたを聞くと、本当にひとの心を打つものです” と彼のことを評している。
トークの間は笑顔で楽しい話を披露してくれる若林さんも、曲が流れると一瞬のうちに、まるでお面を付け替えるようにまったく別の表情になる。観客はすぐに歌のドラマの世界に引き込まれてしまう。ピアノ、ヴァイオリンの音と彼の迫力ある歌声が自由に絡み合っていく。
先ほどタイトルにあげた作詞家は阿久悠さんのことだった。阿久さんによるオリジナル曲「嘆きの天使」は若林さんの人生がちりばめられているのだろうか。わずかの時間で若林さんの人生にふさわしい詞を書きあげたようだ。この曲を歌い終えたとき、阿久さんのことを思い出してしまったといって涙をながしていた。
彼の情感のこもった歌声を聴いた後では、テレビの中の若手歌手の歌はとても聴いていられないほどだった。実力はうそをつかない・・・か。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


作られて40年以上もたっても走れる機械的な優秀さ・・・
アーバンライフメトロ」2007.12.1号より。
今月で東京に地下鉄が開通して80年になるという。たまたま、私は仕事で東京メトロを利用することが多いので親しみのある電車でもある。日本初の地下鉄は昭和2年、浅草〜上野間4駅を結んで開業していた。
私が初めて地下鉄に乗ったのはもう35年ほど前の学生時代だったろうか。その後各線の電車のデザイン、色、車内設備などもいつしか変わっていった。そして、引退した車両はその後地方のあちこちの路線を走っていたのだ。
中には海外に輸出されているものもあった。東西線で走っていた車両はインドネシアに輸出されていた。また驚いたのは、131両もの丸の内線を走っていた赤い電車はアルゼンチンで現役で走り続けているという。
実に重くて大きなリサイクルが行われていると思えた次第。それは日本で走っていた時の姿とほとんど変わらないようだ。面白いことに「乗務員室」などの表示もそのままだという。国境を越えて愛されるというのも素晴らしい。
恐らくアルゼンチンに旅をした日本人が、現地で東京の地下鉄の電車に出会ったら感動することでしょう・・・ね。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
菓子になり、主食になり・・・
アーバンライフメトロ」2007.12.1号より。
さらにその後には「地域のコミュニティでは人と人をつなぐ橋渡しとなる」と続いていた。もう答えは想像できたかもしれません。もちのことでした。腹持ちがよく、保存が利き、携帯にも便利でした。
日本人ともちとのつながりはかなり古そうです。縄文時代、東南アジアから伝えられた稲作は、もち米だったようです。神に供える鏡餅の習慣が始まったは平安時代とあります。
ふだんはもちを食べることはあまりありませんが、正月になると好んで食べるようになります。もともと日本人はもちが好きなんでしょうね。雑煮は正月の数日間はごくごく自然に口にしてしまいます。
また、その後も数週間は焼いて醤油をつけ海苔でまいた磯部焼きやゆでてきな粉をつけたあべかわ餅にして食べ続けます。腹持ちがよく冬の季節となぜか相性がよさそうですね。
そういえば、子供たちが幼稚園児のころの行事で暮には餅つきをしたことがありました。炊けたばかりのもち米を臼に入れ重い杵でついたことが懐かしいですね。やはりつきたての軟らかくて温かい持ちは最高でした。
また和のスイーツの代表は餅菓子でしょう。大福餅、柏餅、草餅、桜餅、わらび餅、葛餅・・・いろいろな餅の種類がありますね。写真を眺めながら、こんなことを書いていたら急に食べたくなりました!