激減したといっても、昨年度(H.18)で1481万枚が売れている。

朝日新聞日曜版」2007.11.18付けより。
先日よりコレクションやコレクターのことを取り上げていたら、ふと似たような新聞記事があったことを思い出した。上記の数字はかなりすごいと思える。というのは、ほとんどの人が何をもう今さらって、思っているものだからだ。それはテレホンカードの売上げ枚数だった。
もう今では、公衆電話を見つけることさえ容易ではなくなってしまった。ほとんど一人一台はケータイ電話を持つ時代になってしまったからだ。10年ほど前には新宿の駅にはずらっと公衆電話が並んでいたものだった。しかし、今ではもう数台を見つけるのがやっとの感じになってしまった。
今月でテレホンカードが発売されてから25周年になるという。(発売開始は1982年だった)とりあえず、財布の中には万一ケータイの電池切れになった時のために使いきっていないテレカが入っている。発売された当時はいろいろなデザインが楽しくて集めたものだった。一時は100枚近くはあったろうか。ところが未使用のものを持っていてもしょうがないと思ってどんどん使ってしまった。
販売数のピークは1990年から97年頃で毎年4億枚が売れていたのだ。これはギフトや景品、企業のPRで使用されていたからだった。ところが98年頃からは激減してしる。それでも、昨年は1481万枚が売れているというからすごい数字だ。今でも根強い収集家はいるようだ。どんなものにもコレクターがいるものですね。
私は自分が使用して記念として絵柄が珍しいものだけは一応捨てないでとってはあるが、当然何の価値もない。カードと言えば、関東地区の私鉄、地下鉄に乗る際に今年の春先まで使用していたパスネットも使わなくなってしまった。今では電子(マネー)カードのパスモを使うようになったからだ。あまりにも便利すぎてついつい使い過ぎてしまう・・・

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何かしらのコンプレックスはあったほうがいい。

「好きなことをずっと仕事でやっていくために知っておきたいこと」北原照久、矢野雅幸著より。

今でこそ趣味を仕事にして、業界トップにたつ二人ではあるが、彼らもまたコンプレックスを起爆剤にしたからこそ夢を実現できたとも言える。矢野氏は自分の原動力のひとつはコンプレックスが姿を変えた一種の物欲だとも振り返っている。
二人ともはじめからメチャクチャ裕福というわけではなく、欲しいものが全部与えられていたわけでもなかった。コレクターである二人とも、いい意味での欲があったということでは意見が一致している。欲がなければ物を集めたいとは思わないし、そのための努力もしないだろう。棚ぼたは絶対にあり得ない。欲の成就には人一倍働くことも必要になってくる。
欲がなければ、すでに誰かが持っているものを博物館や美術館で観るだけですんでしまう。以上のことは言葉を換えれば、ハングリーさともいえそうだ。それはしばしばスポーツの世界で使われているが、精神はすべての仕事にあてはまるだろう。
たとえば、作家では浅田次郎氏や山本一力氏がプロの作家になる以前、仕事で億単位の借金を抱え込んでしまったことは有名な話だ。また、先月取り上げた世界的建築家の安藤忠雄氏も決して学問のエリート街道を歩んだわけでもなかった。大学で学ぶ専門の勉強を連日長時間にわたってし続けた自分で学問を身につけている。
コンプレックスもいい意味で働かせれば、それなりの成果が望めそうだ。また逆に悪い方に行ってしまうと、犯罪になったりすることもしばしばだが。

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「石橋を叩いて渡る奴があるか」

「好きなことをずっと仕事でやっていくために知っておきたいこと」北原照久、矢野雅幸著より。

「石橋は叩かないで渡れ」というのがタレントのうつみ宮土理さんのモットーだという記事を先月28日の日記で触れていたので、たまたま上記のフレーズにさしかかったときに気になった次第。こんな面白い発言をしていたのは本田宗一郎さんだった。
つまり、石橋だと思ったら渡っちゃえよ、という意味らしい。確かにいかにも本田さんらしい明確なフレーズだ。偉業を成し遂げた人の言葉には勢いが感じられる。とくに起業をする人には必ずリスクがつきまとう。しかし、それ以上に夢があるから一歩を踏みだせるに違いない。
矢野氏は面白いことを言っていた。「石橋に全部ヒビが入っていたとしても、渡ったあとで振り返って、渡れたことがすごくラッキーだったと思ったほうがいい(笑)」と。
多くの人は、石橋を渡ってしまったあとの結果しか見ていない。軽く渡ってしまうための努力は見えにくいものだろう。とりあえず前に進むためには、石橋をハンマーで叩く必要も、転ばぬ先の杖もあまりたくさん持つ必要もないかなぁ。

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頼みにならねDNA.
「うさぎの聞き耳」青木奈緒著より。
この青木さんの母親は随筆家の青木玉さんでその母親は幸田文さん(つまり祖母)、その父親は幸田露伴(曾祖父)だった。4代も続いて物書きだったらきっとその遺伝でかなりの書き手に違いないと思われているようだが、本人にはそれは迷惑のようだ。
何冊も読んだわけではないが、幸田文さんの文章には父親からの素質だろうか、確かな取材としっかりした知識、そして落ち着いた中にも熱気さえも感じられた。そして青木玉さんの本からは実に美しく練られた日本語が伝わってきた。これこそ本物の随筆かと思わせられた。
また奈緒さんの文章からは30代半ば(この本を書いた当時)のいかにもパソコン世代の女性らしい生き生きとした感性が感じられた。ドイツに12年間を暮らしたという話のところでは、言葉が弾んでいるようでもあった。文章が早いテンポで進んでいくのはパソコンで書いていたからだろうか。
本文の中にも同業の母親は茶の間に原稿用紙を広げて、一字一字鉛筆で律儀に埋めていくとあった。それに対してご本人は気分によって、ノートパソコンを移動させながら、キーボードをたたいて原稿作りに励んでいるという。
そうして出来上がった一冊もべつにすらすらと書きあげたわけではなかったようだ。物書きとしてたまたま四代目ではあるものの、職人と違って代々受け継がれたものがあるわけでもない。自身の判断でたまたま続いただけで、DNAは頼みにはならないと述べている。(もっとも、そこそこの才能がなければ一冊も書けないであろうが。)