石橋は叩かないで渡れ、というのが私の人生のモットー。

JAF Mate」2007.12月号より。
インタビュー記事のなかで、うつみ宮土理さんが言っていたこと。しばしばテレビや雑誌のなかでも彼女は韓流スターや韓国のドラマが好きだと述べていた。しかも、その影響もあって韓国に留学までしてしまっている。
韓国ドラマが好きになったら、韓国の文化をもっと勉強したいと思うようになったという。そして、思い立ったらすぐに実行に移してしまうのが、自分の性格らしい。だから、石橋など叩いている暇はないのかもしれない。
実に自由に思うまま生きているようにも思える。ある意味、チャレンジ精神が旺盛な人だともいえそうだ。ある程度の歳を重ねても夢を追い続けるのは若さを保つ秘訣かもしれない。だからこそ、昨年は「グッドエイジャー賞」を受賞しているのだろう。
この賞の歴史はまだ浅い。中高年になっても、積極的に挑戦し、人生を楽しむ人に与えられている。004年以来、毎年男女一名づつが選出されている。うつみさんと同時に映画監督の奥田瑛二さんが受賞していた。なお、今年は野球解説者の福本豊さん、女優の鳳蘭さんだった。
ほとんどの人は石橋を叩いているうちに歳をとってしまうのかな〜〜。夢や希望を失いがちだ。それを世の中のせいにしてはいけないのかな。たとえグッドエイジャーになれなくても、中日の落合監督ではないが、せめて“オレ流”で生きられればいいんだがなぁ・・・


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バス旅は感性が磨かれそう。
R25」2007.11.22号より。
“バス旅”とはいっても、観光バスでの旅行ではなく、ここではもっと身近にある路線バスのちょっとした旅気分のようなものを意味していた。都内で急いでいるときは、だいたい電車を利用する方が間違いなく予定時間に目的地に着ける。地下鉄もかなり網の目のように張り巡らされているので便利な乗り物だ。
しかし、たまに場所によってはバスでなければ近づけないところもある。また、いつもは電車で行くところをバスに乗ってみると、意外に知らない地名(バス停)がアナウンスされたりする。それから路線バスによっては、よくこんな狭い商店街や住宅街を走れるものだと、その運転士のドライビングテクニックに感心したり、スリルを味わったりもしたことはある。
川が流れていないのに○○橋とかそこにある会社や学校の旧名での呼び名がバス停の名称になっているところもあって面白い。そんなところにも街の歴史を感じたり。しかも、信号以外でも2、3分おきに停車するので窓からもゆっくり風景や商店の看板などが眺められる。
私も今は自宅と駅の間はバスを利用しているが、乗客の顔だけは見覚えてしまう。そんな知った顔も時間帯や経た年数でも変わっていく。学生だった若者がやがて社会人となり、数年するとその顔もいつしか見えなくなっている。どこかへ転勤でもしたのだろうか、などと想像してしまう。
当たり前のことだが、人が成長した分だけ自分だって歳を重ねている。電車に乗っている時よりいろいろと発見がありそうだ。バスに揺られながらその日の日記のネタなども考えることもあるな。もしかしたら、これもそうだったろうか・・・

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他人を面白がらせるためには、勇気ある行動が必要。
R25」2007.11.22号より。
読んでいくと、次の箇所がある。「高校2年生のときプロボクサーとしてデビューし、11試合戦っている」これは先般いろいろ話題に上っていた亀田兄弟のことではない。なんと世界的建築家の安藤忠雄さんのことだった。
大学の専門的な教育も受けていない。しかし、東京大学の教授にも就任したり、イエール大学コロンビア大学ハーバード大学でも客員教授を歴任している。10代より建築に興味を持ち、独学だった。プロボクサーを経て20代半ばで世界を放浪していた。
ピューリッアー美術館(アメリカ)や表参道ヒルズ(東京)なども安藤氏の設計だった。今、氏は東京港埋立地33ヘクタール(東京ドーム約19個分)の広さに植樹をして「海の森」を作る構想をしている。また東京都内にも100万本の街路樹を植え緑でいっぱいにしたいという構想も持っている。
そして、すでに「緑の東京募金」というプロジェクトもスタートしている。その中心が安藤氏だった。この計画は10年はかかるそうだ。こんな仕事で大切なのは構想力と実行力だという。
建築家は構想したものを、誰かと共同で作り上げていかねばならない。だからそこには実行する意志が必要になる。決して一人ではできない。“本当にできるの?”っていうことをやるのは勇気ある行動が必要になのだろう。それでこそ人に感動を与え面白がらせることができるのだろう。
とても平凡な人生を歩んできた人には考えられないことを成し遂げてしまうのには、生まれつき持っている強い意志とその後の実績という自信の裏付けがあるからなのだろう・・・な。




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大バカに感謝の日々。

たまには個人的な日記も書いてみよう。というわけで、今年本当に感謝してしまうものがあったので、個人的記録として残しておきたい。それは晩秋に庭の片隅に大量に実ったユズのこと。昔からよく知られている言い伝えに「桃栗三年柿八年」というのがあるが、そのあとにも続きがあったのだ。
いろいろな説があるが、次のものもその一つになっている。「桃栗3年、柿8年、梅はスイスイ13年、梨はゆるゆる15年、柚の大バカ18年、ミカンのマヌケは20年」というふうに、あるが梅は酸い酸いと漢字にするとわかりやすい。それにしても、柑橘類のユズとミカンには大バカ、マヌケとなっていてちょっとかわいそうな気もするが。
つまり、実を結ぶためにはそれくらいの年月が必要だという意味合いがあったのだ。で、実際そうかといえば、必ずしも当てはまらない。確かに家にユズの苗を買ってきて初めて花が咲いて実を結んだのは7年目くらいだったろうか。
とはいっても、その後昨年まではせいぜい10個前後しかとれなかった。ところが今年は初夏に大量の白い花が咲いたので期待していたら、何と前年の10倍以上、130個ほどの実ができたのだった。これには驚いてしまった。苗木から13年ほど経ったろうか。
ユズの大バカなどというのが失礼に思われた次第。さっそくお隣さんや知人に配っている。そして自宅では砂糖で煮詰めてマーマレードのようなものを作ってみた。それをパンにつけたり、ヨーグルトに入れて食べている。ユズ独特の風味が口のなかに広がっていく。
そして、夜には焼酎のお湯割りに搾って毎晩楽しんでいる次第。何しろ無農薬という安心感もある。これだけ今年一気に大量の実がなってしまうと来年はお休みだろうか。