実力以上の結果でも・・・

(やや前日の関連みたいなもの)
しばしば、仕事でもこんなにうまく行っていいのかと思うくらいの時がある。そして、それはたまたま運がいいだけだったりするだけかもしれない。それを自分の実力だと勘違いすると大変なことにもなってしまう。
調子がいい時はそう長く続くわけでもない。もし営業だったら、それほどの努力をしなくても運がいいだけで予算を達成したりすることもあるかもしれない。実力ではなく偶然いい波に乗れただけだったかもしれない。
いったいどんな要因でうまくいったのかさえ思い出せないこともある。もしかしたら、たまたま約20年前のバブル経済のときのように、社会全体が浮かれていることもあるが、そのあとが大変なことになっている。
諺にもあるように「禍福はあざなえる縄のごとし」で、いいことも悪いこともそう長くは続かないのだろう。それはまた仕事以外の遊びの世界、とくにギャンブルなどでもいえそうだ。
たとえば、若いころよく麻雀をしたがツキに左右されることが多かった。大して考えもしないのに簡単にあがれて勝てる日もあった。また、いくら勝とうとしてもまったく勝てない時もあった。やはり本当の実力がないと波も大きいのだろう。(やはりギャンブルに深追いは禁物かも)
そういえば、今年メジャーデビューを果たした松坂投手も15勝していた。しかし完全に負け試合だったにもかかわらず、味方攻撃陣が大量得点をあげて勝ち投手になったことも3回はあっただろう。まだまだ本当の力を発揮するのは来年以降だろうか。期待したいもの。


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女性を見る目がなくて。
「ギャグ返し講座」浅井企画放送作家セミナー著より。
まずは、私個人の経験を述べてみたい。もう10年以上前のことになるが、仕事で知り合いの方に念願の子供が生まれたのだ。そして、そのお子さんを見せてもらったとき、私は確信をもって「男の子ですか?」と聞いたのだ。すると、即座に「女の子です」とその奥さんに言われてしまった。
私は心の中で(あっ、しまった!)と思ったがもう遅い。その奥さんはちょっとがっかりした様子だったので、私は「あ、そうですか、失礼しました」とあやまってその場を取り繕ったのだ。そして違う話へと移ってしまった。
私の目には、その時はどうみても女の子には見えなかった。
やはり子を産んだばかりの母親からすると女の子はかわいい、男の子はそうでもない、というのが暗黙の了解なのだろうか。後日、そのご主人から「○○さん(私のこと)に男の子と言われてちょっとムッとしてましたよ」と言われてしまった。
やはり、見たまま感じたままを“正直に”口に出してしまうのは時にはまずいことなんだと痛感。で、今後は赤ちゃんをみたらとりあえず「かわいいですね、女の子ですか?」といえば、たとえその子が男の子でも嫌な気分をさせないだろうと思った次第。
さて、もし「かわいらしいお坊ちゃんですね」と言ってしまったあとで「女の子です」と言われたらこんな答え方もあったのだ。「すみません、僕、女性を見る目がなくて」と。つまりギャグでかわしてしまうわけだ。そうすれば、意外に笑って済ませられるかもしれない・・・・


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苦労のレベルが違う・・・

先日、私の母の七回忌の法要が行われた。その際、和尚さんは「私たちはよく苦労をしたといっても、大したことはありません。しかしお母さん(私の母)の生きてきた時代は本当に苦労の連続だった。戦争の時代を過ごされたお母さんたちは生きるか死ぬかの苦労をしていた。戦後生まれの私どもが苦労といってもすでに食べるものも十分にあった。」というようなことを話した。
実際、和尚さんは私の母と話をしたことも何度かあり、戦争時代の苦労を書き綴った手記も読んでくれていたのだ。その手記は大学ノートに書かれたものだったが、約25年ほどまえに私がワープロに打ち込んで清書したことがあった。和尚さんの話を聞きながらそんなことを思い出していた。
ノートを読みながら、意味がわからない部分や漢字なども聞きながらワープロの活字にしていった。そこには忘れられない苦労を残しておきたいという気持ちが表現されていた。手書きのノートも印刷文字にすると意外にコンパクトになったが、それでも数日間はかかった。
和尚さんは、このような法要は母たちが経験した本当の苦労を思い出すいい機会かもしれないと述べていた。やはり生きるか死ぬかの苦労のレベルは私たち戦後生まれの人間の苦労とはまったく異なるものだろう。(和尚さん自身も私より4、5歳年上だから当然戦後生まれで、母との話からいろいろ経験していない苦労話を聞かされたのであろう。)