クリスマスツリーを切った。

この時期に切ってしますのは、もったいないことだ、と思うかもしれない・・・
庭の片隅にあったクリスマスツリー(ドイツトウヒ)が大きくなりすぎたので、先日切ってしまった。たとえ木が一本でもなくなると視界が開け急に明るくなった感じもする。
この苗木を買ったのはもう18年ほど前だろうか。はじめは家の中でクリスマスのオーナーメントを飾り付けていたが、その当時はせいぜい90センチほどの高さだった。そして、翌年から地面に植えたらどんどんと成長していった。
そして毎年のように12月に入るとイルミネーションで飾って楽しんでいたものの、ついに数年前には二階の屋根にまで達するほどの高さになってしまた。とうとうイルミネーションを飾ることはできなくなってしまったのだ。
もうそうなると、ただの大木で無用の長物になってしまった。庭を狭くするだけなので、そのうち切ってしまわねばと思いまがらも2,3年がたってしまった。天気のいい休日に思い立って切ることにしたのだ。
はじめはノコギリで切りはじめたものの、なかなかびくともしない。中ほどの枝に紐をつけてお隣の家を直撃しないように気をつけながらノコギリをひいていたが意外に頑丈だった。そこで、ナタで削っていく方が早そうなので、途中でホームセンターに行きナタを購入して木に打ち付けはじめた。
やはりそのほうが早そうだった。かなりの力を入れて木の幹を削っていくと細くなっていくのが実感できた。そしてかなり細くなったところで紐に力を入れるとバリッという音とともに庭にドスンと倒れ落ちてくれた。
ほっとしたものの、ゴミとして出すためにそのあと横たわった枝を切らねばならない。それも一苦労だ。日が暮れたのでそれはまた後日にしようと思った次第。


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楽しさも限度を超すと不安を感じる。

(やや昨日の続き)
クリスマスツリーの大きさも、その庭にあったほどほどの大きさならいい。しかし生きているこの木はいつまでも同じ高さでいてくれるわけではない。かなりの高さまで成長する。自分でイルミネーションが飾れなければその木はただの無用の長物にしか過ぎないと思った。切っても何の未練もなかった。
話はややそれるが・・・たとえば、宝くじが当たればいいと思いいろいろと楽しい夢を思い描くものだが、万が一、数億円が当たったならそれと同時に不安になるのではないだろうか。疑心暗鬼になってしまったり。今度はそれをどうやって守ろうとかそれまで考えなかったいろいろなことが頭をよぎるのではないだろうか。人生が狂ってしまうかもしれない。
幸せ感も同じものに思える。美人過ぎる女性と結婚したなら、またそれも不安の種かもしれない。実際、私の知り合いの歯科医の息子さんが25歳の時超美人と結婚したのだ。彼自身はIT関連の会社員だった。女性はテレビに出演しモデルの経験もある人だった。私は結婚式の写真を見ただけだが、驚くほどきれいだった。しかし、幸せな期間は一年ともたなかった。非は女性側にあったのだ。
なぜかそこで思い出したのは「神田川」(南こうせつかぐや姫)という歌だった。そのなかの「〜ただあなたの優しさが怖かった♪」というフレーズの部分だった。中年以降の人ならきっとこのヒットした懐メロを覚えていることだろう。優しさも度を超すとやはり不安になるものかもしれないな・・・


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