芸術はここちよくあってはならない。

「今日の芸術」岡本太郎著より。
氏はこの一冊のなかで「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれであってはならない。ここちよくあってはならない。」ということを宣言している。これが芸術における根本条件だという。
一般的には絵はうまくとかきれいな方がいいとか見て心地いいものだと思いがちだが、本物の芸術ではそうではないようだ。むしろすぐれた芸術には常識とはかけ離れた飛躍的な創造こそが要求されるのだった。
たとえば、ピカソの絵は、楽しいというよりむしろ不快感、いやったらしさを感じさせるようだ。意見しても頭では理解できない。しかし二十世紀を代表する独自の作品を生み出している。
また、ゴッホは今でこそ数十億円の単位で取引されてはいるが、存命中は一般からは認められず、一枚も絵は売れてはいなかったようだ。しかも絶望して自殺までしている。
すぐれた芸術は、残念なことだが、しばしばその時代には理解されなかったりするものかな。時代がまだその作家に追いついていかなかったのだろうか。


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芸術は、いわば自由の実験室です。
「今日の芸術」岡本太郎著より。
絵を描くことは子供のころからやっていることだから、誰でも簡単にできるはず。むしろ文章を書くことよりも容易なことだとも思える。しかし、人に見せたりうまく描こうと思ったりすると、とたんに手が止まってしまうもの。
そこで、でたらめな絵でもいいから絵がこうとしても、また描けなかったりする。人の描いたものなら批評できるのに、いざ自分が無から創造しようとしても容易ではない。
つまり自由に勝手にと言われても、難しいことがわかる。これは何かモノを書く場合でも同じことがいえそうだ。何か人からテーマや質問を与えられたほうが頭が働き始めたりするもの。
芸術という世界では自由に表現できる。だからもともと自分のなかに何か創造の種がなければむりなのだろう。その世界で新しい価値を生み出すことは並大抵ではないとも言える。既製のものを繰り返したり模倣は決して許されない。
しかし、その分何ものにも拘束されずに創造することができる。だから氏は“芸術”は、いわば自由の“実験室”という表現を用いたのだろう・・・な。


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芸術の本質は技術であって、芸の本質は技能。

「今日の芸術」岡本太郎著より。

ここでいう技術とは単なるテクニックという意味ではなかった。だから手先が器用かどうかなどは問題外のことでもある。つまり繰り返しではなく、つねに古いものを否定して新しく創造し発見してゆくものを指していた。革命的である必要があるのだ。
人が日常使っている道具も技術も時代とともに発展してきている。美術史の時代でも同じ形式は繰り返されてはいない。だから印象派の時代が再び来ることはあり得ない。
一方芸ごとは技能の問題だった。長年の熟練によって到達するものだった。「絵でを磨く」という表現でもわかる。長年のコツや勘も要求されよう。長年かかって体に覚え込ませることが必要だからスタートは早いほどいいのだ。
技能は思いつき、精神力だけでは決してできない。何よりも時間の経過が大切になってくる。ところが芸術はいきなり感動的な作品を創ることも可能だ。音楽、絵画、文芸・・・などの世界では十代でいきなり世間の評価をうけることもしばしば目にする。
逆に素人だからこそ新鮮な表現ができ、革命的な作品ができたりするもの。真の芸術家は長年にわたって独自の世界を創り上げた人とも言えるだろう。ピカソマチスが二十世紀芸術の代表者であるように。

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何だか手品の種明かしを見せられたみたいに・・・
「今日の芸術」岡本太郎著より。
これは本文のあとの解説の部分で赤瀬川原平が書いていたフレーズだった。それほど具体的で解りやすい内容ということでもあろう。この本が出版された1950年代の画家や画家志望の若者たちに強い影響を与えたようだ。
そして、赤瀬川氏も当時は画学生で、かなり影響を受けたひとりで、次のように語っている。「読書が不器用な僕でさえも読んで勇気づけられ、「前衛への道」をそそのかされたというのだから、大変な力を持っていた。
氏は現在、作家(芥川賞)として活躍しているが、スタートは前衛芸術家だったのだ。初速のスピードは「この本にコツンと背中を押された」と述懐している。
岡本太郎がなくなったのは1996年だった。もう10年以上が経過していた。なんだか数年前までテレビに出演していたような気もする。そして、テレビの中でもこの本の中にも書かれているような芸術論を展開していたものだ。
そういえば、「太陽の塔」も「太郎の塔」と名づけようかと思っていた、という発言も思い出される。実にユーモアのあるギョロ目のおじさんだったな・・・