芸術には古いも新しいもないはず。

「今日の芸術」岡本太郎著より。
まずは、この本(文庫本)を書店で手に取り、数ページを読んだだけで、その文章のわかりやすさに魅かれてしまった。初版は1954年だった。もう半世紀以上前に書かれたものだった。しかし今読んでも実にみずみずしい。まったく古さを感じさせない。文庫本としては1999年が初版で、手元のものは23刷発行だった。実に多くの人に読まれていることがわかる。
また、序文が横尾忠則(画家)によって、また最後の解説が赤瀬川原平(画家、作家)によって書かれているのもうれしかった。つまり、岡本太郎の消化しやすく栄養価のある中身が横尾、赤瀬川両氏によってサンドイッチになっているようにも思えた次第。
こんなことからも、私にとっては見るからに美味しそうな一冊でもあった。と、前置きばかりが長々と続いてしまうが、ざっと読んでみて、芸術のことばかりではなく、むしろ広く人生論的なものとしても読める。先ほどの両氏も若いころ読んで大いに刺激を受けたと語っている。
そして、光文社文庫に入れてほしいと依頼したのが、なんと横尾氏自身だったのだ。だから結果的に文庫本の序文を書かされたようだ。ということで、タイトルのフレーズは横尾氏の言葉だった。と、同時に岡本太郎の考えでもあった。
時代を超えて普遍的に存在しているかどうかが問題だったのだ。ピカソが言った次の言葉が引用されていた。「一枚の傑作を描くよりも、その画家が何者であるかということが重要である」と。そして、横尾氏は岡本太郎ほど、そのピカソの言葉がぴったりの芸術家は日本にいないと語っている。

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外からの条件ばかりが自分を豊かにするのではありません。
「今日の芸術」岡本太郎著より。
まさに人生論そのものといった調子の内容が第一章からつづられている。簡単な言葉で言ってしまえば、物質よりも精神の満足感こそが大事なのだということなのだろう。電化製品や車などによって生活が楽になるというような、外からの条件よりもむしろ、自分自身の生き方、力をつかむことが大事だと述べている。
それは別の表現では、自分が創造することイコール自分自身を創ることだとも言えるようだ。岡本太郎といえば、すぐに思い出すフレーズは「芸術は爆発だ!」というものがある。やはり爆発のようなエネルギーを感じさせるものこそが人にも感動を与えられるのだろう。
「芸術」などというと、なんだか一般人には近寄りがたいようにさえ思えるが、意外にもっと身近にありそうだ。“わかる”とか“わからない”と頭で理解するより見て何かを感じ取ることのほうが先にくるのだろうな。
単にきれいに描かれた絵は、心で感じる美しさとはまったく別ものでもあったのだ。芸術は絶対に理屈で教えられるものではないと主張している。むしろ、ものの形や色はこうでなければならない、というような先入観こそが、真の感動の邪魔をしているかもしれないな、と、ふと思った次第。(フレーズとはかなりずれてしまったか・・・)