「ネットカフェ難民」の万引きが目につく。

朝日新聞8月31日付けより。
数日前の新聞記事にはネットカフェ難民という造語があり、いったい何のことかと思った。つまりこれは定まった住居がなくインターネットカフェなどで寝泊りしている人たちのことだった。そして週の半分以上を常連的にネットカフェで過ごしている住居喪失者が約5400人と推計していた。
この数字が多いのか少ないのかはよく分からない。また、20代が27%で最多で、次には50代の23%だという。(厚生労働省の調査)
さらに驚いたのは、電気街、秋葉原とオタクが集う「アキバ」環境の中では、、「ネットカフェ難民」による万引きが多いことだった。盗んだゲームソフトや電気製品を中古買取り店やネットオークションで売りさばいている。
そのネットオークションもネットカフェのパソコンを使っているケースもあるというからさすがオタクは悪いことも徹底している。約500メートル四方に600近くの電気店がひしめき中古品を買い取る業者も400店を超えるという。う〜む。買い取る側もそれが盗品と判断がつかないかな〜

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「見る」「作る」「知る」
「美しいってなんだろう?」森村泰昌著より。
この本は先月半ば、横浜美術館での氏の展覧会を見たあとで、出口のところで買ったものだった。氏のいくつかの作品もカラーで掲載されていて気楽に読める。サブタイトルは“美術のすすめ”とあった。
そして、美術という世界に近づくためにはまず、3つの道があるという。それは次のようなものだった。
「見る」・・・美術鑑賞。美術館に行って絵などを見ること。
「作る」・・・自分で絵を描いたり、粘土をこねて作品をつくること。
「知る」・・・本で読んだり、美術に詳しい人に教えてもらい知識を得ること。
知ることについて、ここではゴッホの絵を例にとっていた。ゴッホは1853年生まれで1890年に自殺している。37歳という若さだったが、自画像は意外に老けて見える。
片耳に包帯をまいている自画像について、一度は仲がよかったゴーギャンと仲たがいして、激情して自分の耳を切ってしまった。こんないきさつを「知る」ことで、絵の内容もより分かってくる。まあ、この程度のことならかなり知られているかも。

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自分が美術作品に「なる」
「美しいってなんだろう?」森村泰昌著より。
「見る」「作る」「知る」について、美術家を目指す森村氏にとって努力していたにもかかわらず、難しいことだった。長時間絵の前に立ち尽くしても絵は何も語りださない。本を読み知識をいくらたくわえても自分がつかみとった発見という喜びや手ごたえがなかった。またいくら絵を描くのは好きでも、そこそこ上手な人は世の中にゴマンといたのだ。
結局美術家としての森村氏は苦労の末、別の新しい自分の道を探すことにしたのだ。その第四の道が「なる」ことだった。それで世間の評価を受け認められたのだ。だからこそ美術館で展覧会を催せるのだろう。
実際にある有名な作品の登場人物に自分がなりきってしまうという実にユニークな表現方法を思いついている。そして、ゴッホの自画像やモナリザにもなっている。衣装、帽子、パイプまで自分で制作している。
美術館にはフェルメールの大掛かりな室内の作品が出来上がっていた。それは作品の世界と全く同じ舞台装置のようだった。自ら絵画の登場人物になりきり道具を持ってポーズを決めている。それを写真で撮って合成して作品に仕上げてある。
とうてい一人ではできない。何人ものスタッフの協力で出来上がった作品でもある。美術のこんな世界の驚きは当然感動にもつながる・・・かな。

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