あらゆる大学が趣向を凝らして盛り上げます。

朝日新聞のブログ「きょういくパーク」より。
かなり前からオープンキャンパスが花盛りのようだ。電車に乗っていると目に付くのが大学のオープンキャンパスと言うシステムの宣伝があちこちに見えることだ。
私が受験した30年前以上前にはそんなものはなかった。各大学とも学校の様子を知ってもらうため学部や学校の説明をしている。まあ少子化だから少しでも志願者を増やし受験生集めを目指しているのだろう。
しかも、最近では父母同伴で参加する人もいるというからちょっと驚いた。そしてここでは「過保護?」と書かれていた。筆者がある大学のオープンキャンパスに行ってみると親まで一緒に参加する姿をかなりみかけたとあった。まあ、学校にもようだろうが。
まあ考えてみれば、受験するのは子供だから親まで付いて来るのはやや過保護な感じもするが、学校の様子を大学関係者に質問し理解すること悪いことではないかもしれない。
このオープンキャンパスなる行事に参加して受験先を決定することはしばしばだろう。うちの子供もそれでいくつか比較して行きたくなった学校もあったようだ。しかし、志願して受験したものの生憎そこには入れなかったが。
結局、住めば(入れば都)でそこが自分に合っていると思うようだ。私自身も第一志望校には入れなかったが、あとで考えたら自分ではそれでよかったとも思えるかも。(タイトルとは関係ない話になってしまったか・・・)

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努力のないところにスランプは訪れない。

「復活して成功する57の方法」中谷彰宏著より。
このフレーズより先に目に入ったのは、この本のタイトルの英訳だった。表紙には“57 Ways to Get Back into the Spotlight."となっていた。この後半の“into the Spotlight.”という部分は日本語にはないがちょっと素敵で気に入った。
さて、この部分のワンセンテンスを抜き出してみよう。「調子が悪いことでダメになっていく人は、成績・スコア・数字・売上げなどという“事実”を重んじています。」とあった。
この“重んじている”という部分は「こだわっている」や「気にしている」に置き換えると分かりやすい。つまり結果ばかりに先に目がいっていると勘違いや間違いの元になりやすいということだろう。
しばしば「結果オーライ」という言葉を耳にする。たとえば、スポーツなら勝ったんだからいいじゃないか、とそれで済ませてしまう場合だ。でも、結局はどういう勝ち方をしたのかという中身のほうが大事なことも多い。
野球ではヒット一本にしても、打ちそこないでも運よく守備の不味さでヒットになることもある。また逆にボールを芯でとらえ、手ごたえを感じた場合でも相手の好守備に阻まれることもある。
また営業職なら売上げ実績が問われるが、それも単に予算さえクリアーできれば十分だともいえない。たまたまラッキーが重なった場合もある。それが実力と勘違いしたら大変なことにもなろう。
むしろ大事なのは手ごたえやいい感じがつかめたかどうかのほうなのだ。結局努力していないうちは、スランプだなんて言う資格もないのかもしれない・・・な。

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他の誰かと比べて持った自信は、もろい。

「復活して成功する57の方法」中谷彰宏著より。

筆者は人と比べて得た自信は見せかけの自信だという。あの人より上手にできる、テストの結果がよかった、売上げがよかった・・・。
こんな「誰々より」という比較は、もっとすごい人の前ではかすんでしまうだろうし、自信も崩れやすい。世の中には上には上があるもの。
むしろ過去の自分と比べてどれだけ進歩できたかを確認するほうがいいようだ。どんなことでも進歩、上達するためにはコツコツとした地道な努力は欠かせない。
また、学業にしても営業でも誰でもいつもコンスタントに成績はあげられるわけではない。進歩する時もかなりジグザグだったりするもの。時には思いがけず落ち込むことだってある。
しかし、それでもたまにはこんあこともあるさ、と軽く笑っていられるなら自分に自信があるということだろう。人になんと言われようと自分なりの基準、価値観で自信を持ちたいもの。
そうなれば、きっとスランプに落ち込んだときも復活は早そう・・・だな。