再チャレンジ人間の代表。

産経新聞」2007.8.17付けより。
一面の“産経抄”というコーナーにあったもの。先週、大リーグのパイレーツ所属だった桑田投手はとうとう戦力外通告を受けてしまった。これで現役の野球人生は終止符をうとうとしている。
今後は指導者という立場になろうが、もう少し長くメジャーで活躍できると思ったが、残念!19試合に登板したが、0勝1敗だった。せめて1勝はして欲しかったが。(1回だけ勝ち星を手に入れそうになったこともあったな)
当初、38歳と言う年齢でメジャーにチャレンジすること自体難しいと思われていたが、それでも結果的にはメジャーのマウンドに立つことができた。これは野球に対してこつこつと努力していたご褒美みたいにも思える。
実際40歳を目前にして日本人としてメジャーに再チャレンジし、それを成し遂げてしまいオールドルーキーとなってしまうものすごいこと。よほど強い意志と技術がなければ無理だったに違いない。そんな意味でも再チャレンジの代表とも言えそうだ。
桑田投手の甲子園での通算20勝という記録は戦後最多となっている。また日本のプロ野球巨人では一流投手としての実績を残している。そして、彼自身も数ヶ月間のメジャー在籍で学んだことも多いだろう。
また日本の野球で培ったよいところもパイレーツには残せたようだ。投手として思い通りのところへボールを転がすバントの見本、一塁ベースカバーに全力で走ること、練習前の独自のストレッチ、若手捕手へのリードやキャッチングの助言等。
14年間連続で負け越しているチーム(パイレーツ)に桑田のプロ意識というか野球道はきっと伝わったに違いない。もしかしたら、桑田が身体で学んだ以上のことをそのチームの若手投手陣は学んだのかもしれない・・な。

以下記事より。

ピッツバーグ17日時事】米大リーグのパイレーツを戦力外になった桑田真澄投手の退団が17日、決まった。デーブ・リトルフィールドGMが当地で発表した。球団はマイナー行きを提示したが、桑田は「今年(の残り)はプレーしないことに決めた」と話し、今季の終了を待たずに帰国することになった。
 突然の戦力外通告から3日。当地で会見に応じた桑田は「(未練は)全くない。20年間どこかに置いていたものを自分の目で見て肌で感じられた。キャンプで大きなけがをして、それでもメジャーリーガーになれた。充実感でいっぱいだし、何一つ悔いはない」と、すがすがしい表情で語った。


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本は人と会うためのインフラだ。
「好きなことをやって、成功する法則」竹村健一中谷彰宏著より。
この本は数年前にもざっと読んだことがあったが、再読してみた。これは2人の対談をまとめたものだった。するとその時は通り過ぎてしまった箇所が気になった。それが上記のフレーズだった。
これを言っていたのは中谷氏。この本が出版されたのは2001年だが、当時までで竹村氏は550冊の本を書いていて、中谷氏は400冊だった。中谷氏は本を書くことで人と会ったりできるから、本はそのためのインフラだと言っている。
彼にとっては本を書くことは最終目的ではなかったのだ。きっと竹村氏にとってもきっと同じだろうとも語っている。確かに著作があれば、それをたたき台の話題として人に会うときにはいいかもしれない。
でも、一般の人はそういうわけにはいかない。そこで、誰にでも簡単にできそうなのがインターネットではないだろうか。たとえば、自分のホームページやブログを通じてあらかじめ自分を知ってもらうにはけっこう役立ちそうだ。
ネット自体がインフラには違いないが、そこに書かれた内容は個人個人異なるからそこから個性も伝わるに違いない。だから、私たちはブログ(ウェブ日記)は人と会うためのインフラだ、と言い換えてもよさそうだな、と思った次第。


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試験を受けるような仕事は全部ダメだと思った。
「好きなことをやって、成功する法則」竹村健一中谷彰宏著より。
これは、竹村氏の言っていたこと。氏はかつて頻繁にテレビ番組やCMに出演していたので“電波怪物”とまで言われた時代があった。そして、けっこう自分の好きなように生きている感じもする。
竹村氏が大学生の初めごろ、外交官か弁護士になろうと思っていたという。しかし、その種の本を買って読んだら面白くなかったという。自分に性があわないと感じて、自分の好きなようにやったら世の中に受け入れられてけっこううまくいったと述懐している。
そうは言っても、実際の生活では実にハードにコツコツと勉強していたに違いない。それは昔書いた本からもうかがえる。几帳面にメモをして蓄積していたからこそ多くの著作を残せたに違いない。また誰にでもわかりやすく伝えられるのは自分がそれだけ深く理解しているからだ。
竹村氏の書いた本やテレビでの話は分かりやすい。私も高校時代に買った氏の著書をいまだに持っている。その後に買った本は捨ててしまっているのに何故か捨てられないでいる。それは『頭は使いよう』というタイトルの本だった。
この本が出版された当時、氏は追手門学院大学助教授をしていた。つまり英語の先生だった。この本は海外旅行したときにメモをした海外の(当時は)新しいアイデアをまとめたものだった。「はじめに」の部分に“この本は努力しないで出世する法を実例で教え、君の人生観を変えるものである。”とあった。
私は高校時代にこれを読んで、ただただ努力が嫌いなだけの人間になってしまった・・・。

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自分の体力、肉体の限界を感じてやめられる選手はごくわずかである。
プロ野球歳時記」永谷脩著より。
この後には「多くの選手は他人からの幕引きにより、野球人生に別れを告げていく」とあった。結局は、自分ではまだまだ現役で活躍できるという自信があっても周囲がそれを認めてくれないのだ。
実に厳しい世界でもあるが、サラリーマンもお役人も同様に定年になれば卒業せざるを得ない。それでも、年齢を考えれば、野球選手としての現役引退は30代が一番多いだろう。その後の人生の方がよほど長い。
野球では上司といわれる監督の意向に沿わなくなれば、戦力外となってしまう。またソリが合わないという場合もある。選手自身が監督の選手起用法に疑問を持つ事もありえる。チームの若返り、FAで獲得した選手の起用、即戦力の新人入団などいろいろなことが絡んでくうる。
それで、他球団からの要望がなければ現役続行に終止符が打たれてしまう。結局、その選手の持ち味を買ってくれる監督や首脳陣がいるかどうかが、選手寿命を左右することになるのだろう。
好きなプロ野球の世界に身を置くことができても、常に結果が問われる厳しい仕事でもある。同じプロでも相撲の世界は引退も早い。その時は体力の限界を理由に自分で判断することが多そうだ。しかし、横綱朝青龍の場合は今後いったいどういう展開になるのだろう・・・


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個人の成績だけであれだけの年棒はもらえるわけがない。
プロ野球歳時記」永谷脩著より。
プロの選手は年齢に関係なく実力ある一流選手と認められれば、億の単位を手にすることもできる。あるいは契約金だけでも期待度で膨大な金額を提示される。それは、彼らが一般人には出来ないことをやる、エンターテイナーでもあるからだという。
当然ある程度の成績を残さなければ、翌年以降の契約はしてもらえない。だからつい成績ばかりに目がいってしまう。しかし、いくら個人がいい成績を残そうとも球場の観客動員が伴なわなければ、一球団が何人もの選手に億単位の年棒は払えるはずはない。
結局その選手がお客を呼べるかどうも大きい。プロの世界では真のエンターテイナーでもあるかどうかも問われているのだろう。この点は芝居や映画であの役者が出演するから観に行こうというのと似ている。
かつて横浜が優勝した1998年、大魔神佐々木主浩投手は活躍し年棒は5億円だった。しかし球団社長は佐々木を見るために球場へ足を運んでくれるお客さんの数を考えれば5億円でも安いと言ったそうだ。
2年連続で首位打者となった鈴木尚典よりはるかに多かった。それはアピール度が桁違いに佐々木のほうが大きかったからだ。そういえば、日ハムを引退してしまった元メジャーリガーだった新庄選手も北海道に日ハムファンを定着させたと言う意味では一流のエンターテイナーでもあったな。
彼にしてみれば、それはサービス精神じゃなくてプロとして当たり前のことだったらしい。それまで野球に関心が薄かった人も彼のパフォーマンスを見たいために球場に足を運び日ハムファンになった人も多いに違いない。
やはり高い年棒をもらっている選手は高い成績を残すと同時に面白い、感動するプレーをみせてもらいたいもの・・・だな。