五木氏の腕時計。

『知の休日』五木寛之著より。
この本を読んでいたら、五木さんが50年間で買った腕時計は2個だけだったとありました。これはちょっと意外なことでした。
その中の一つは古い手巻きの時計で、チューリッヒの裏通りの店で見つけ購入したものだったといいます。それを買うことに決めたのは1932年(昭和7年)の製造品だと確認できたからだそうです。それは五木さんが生れた年だったのでした。
やはり中古の時計を買うにはそれなりの思いがあるんですね。いくら中古だからと言って自分が生れた年の時計に出会うことや、それが気に入る可能性はかなり低いことでしょう。
昭和7年はどんな年だったのでしょうか。不景気と失業のまっただ中だったようです。5・15事件(犬養首相が暗殺される)。古賀政男の『影を慕いて』がヒット。目黒競馬場で日本ダービーの第一回目が開催。流行語は「生れてはみたけれど」。第10回ロサンゼルス五輪開催。チャップリンが来日。
五木さんの1932年生れの腕時計(ピンクゴールドのジャガー・ルクルト)は、メンテナンスも購入後20年以上なしでもほぼ正確に時を刻み続けているようです。やはり適度に使っているのがいいようですね。今年75歳の五木さんもますます活躍中。人間も時計のゼンマイも巻くのは、ほどほどがいいのでしょうね。