スポーツは一番は一番・・・勝った者が強い。

「ファイブエル」2007.8月号より。
これは有森裕子さんがインタビューに答えていたときのフレーズ。スポーツはほかのいろいろなものに比べて勝ち負けがはっきりしている。記録ではっきりと結果が出てしまう。そこにはウソがない。だからこそ、スポーツは人に感動や生きる力を与えられるとも述べている。
アートやミュージックの場合は人によって評価はさまざまになる。オリコンでの1位やレコード売上げの記録もあるであろうが、それも個人の好き嫌い、好みが左右するもの。彼女が言う「勝った者が強い」は確かだろうが、「強い者」が常に勝てるわけでなはい。
それまで弱いと思われていたものが、勝つこともあるからいろいろな勝負事は面白くなる。勝つか負けるかは紙一重ということもある。
そういえば、今開催している夏の甲子園もそうだ。地方大会(大阪)では、怪物と言われる中田翔選手が一人いたところで、大阪桐蔭は代表になることはできなかった。個人と団体の競技ではそこが難しいところだろう。
そして、また大阪の代表として出場した金光大阪もあっけなく一回戦で敗退している。勝負は時には抽選などのめぐりあわせ、天候の状況(雨などの順延)で左右されることもある。
話がそれてしまった。スポーツで正々堂々と戦った末の記録更新、優勝、一位はやはり理屈を越えた感動を与えてくれるものだ・・・な。(たとえスターや怪物がいなくても)

蛇足
中田選手のすごさ。
高校通算本塁打記録、87本。投手としての球速。151km/h。本塁打の飛距離、170m。身長、体重、183㎝、100kg。(まあ、高校時代の清原と松坂が一緒になった感じかな。)

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「甲子園は」は高校野球だけの代名詞ではない。
朝日新聞、朝刊」2007.8.7付け社説より。
夏の全国高校野球開幕の前日、“高校野球 新しい甲子園に向けて”と題しての社説があった。そのなかのワンフレーズ。ここでいう“新しい甲子園”とは2つの意味合いがある。
一つは文字通り、83年前にできた甲子園球場が現在の姿で高校野球ができるのは今年が最後になるからだ。それは今年のシーズンオフには本格的な改修工事に入るためだった。そして最終的には2010年春に新しい甲子園球場に生まれ変わる。
甲子園という名称は建設された1924年が「十干十二支」のそれぞれの最初にあたる甲と子の年だったことから付けられていた。これはいろいろなところで紹介されている。もちろんその頃は日本にプロ野球は存在していなかった。
二つ目は今春表面化した“特待生制度”があった。長い歴史を重ねるといろいろなところにもひずみが出てくるもの。それを今後どう考えていくかだろう。
さてさて、甲子園というと高校生を対象にした全国規模の大会が多いが、最近では男女や世代を越えたものもさすようになっている。実際に、ダンス甲子園まんが甲子園パソコン甲子園ファッション甲子園俳句甲子園、クイズ甲子園・・・とさまざまある。
それはちょうど、テレビ番組の「TVチャンピオン」にも共通しているようにも思える。その世界で今年のトップは誰だろうと競う番組だ。たとえば、日曜大工、プラモデル、ラーメン・・・などもあった。
では、もし今後「○○甲子園」というものを考えるならどんなものがあるでしょうか?この日記を読まれた方へ、もし何かこんな甲子園(何をどう競う?)があったら面白いと思うものがあれば、コメント欄にお書き願えれば幸いです。

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金融、医療、農業の共通点・・・
「ファイブエル」2007.8月号より。
“ユン博士の金融流体力学”というなんだかちょっと意味不明なタイトルのエッセイのなかにあったもの。実に大きなテーマでとっつきにくかったのだが、読んでみると意外にとっつきやすかった。
いったいそれぞれの何が共通しているのだろうと、ちょっと気になった。それはまるでクイズのようなものだった。農業は食とも考えられる。
一つ目の共通点は、どれもても大事なことなのに、学校(義務教育)では教えてくれないことだった。どれも専門性が高いから、勉強したい人だけ大学で勉強すればいいと思っているのだろう、とも述べていた。
その一方では数学の難しい定理や公式などふだんの生活ではまったく関係なさそうなことを覚えさせられたり。まあ、直接役立つ事だけを教えるのが教育ではないのでしょうが。
二つ目の共通点は、金融も医療も農業(食)も自分のことでありながら他人任せにしていることだった。自分で勉強して資産管理をし、自分の身体の健康状態を確認し、家庭菜園で農作物を栽培するなんていう人は稀です。
もちろん出来ない事は専門家に任せるのが当然でしょうが。しかし、何も知らずに鵜呑み、丸投げはやはり危険かもしれない。というわけで、後からそんなはずではなかったと悔やまないようにしたいものですがね。

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安らぎの母音、ドライな子音。
「メトロポリターナ」2007.8月号より。
“オフィスで役立つ魔法のことば”というコラムのなかで目にしたもの。子音はK(ック)、T(ッテ)、S(ッス)というように、息を擦ったり破裂させたりして出す音のこと。
そういえば、よく家の庭にのら猫がやってくると、シッ、シッと言って追っ払っている。無意識のうちに子音で威嚇していたことにも気づく。
母音に比べて子音は相手を甘やかさず、一定の距離感を保てる。音読みの熟語の中には子音を感じさせるものが多い。ここでは仕事が終わった時の例があった。
「ご一緒できて、うれしかったです。ありがとうございました」・・・これは親しみやすく打ち解けやすく、ほっとできる挨拶になっている。「いっしょ、うれしい、ありがとう」などの母音が効いているのだろう。
それに対して、「光栄でした。感謝しております。失礼いたします」となるとKやSの子音が並べられ、丁寧ではあるがドライでクールな感じがすることは確かだ。
謝る時にも「大変失礼しました」と「本当にごめんなさい」では受けるときの印象も異なってくる。もちろん相手にもよりけりだが。ケース・バイ・ケースで使い分けられるといいがな。