笑いというのは、人間に必要であるところが「糖分」に近い。

「月刊現代」2007.7月号より。
山藤章二のぼけせん町内会”というコーナーのワンフレーズ。確かに疲れたときには自然と甘いものが欲しくなったりするもの。バカの一つ覚えかもしれないが、笑いはまた心のビタミンともいえそうだ。
食事を十分食べた後でも、甘いデザートならまた入るところは十分あるなんていう人も多いに違いない。しかし、お笑いというか、バラエティ番組ではしばしばお笑い芸人が司会をして無理やり会場から笑いをとっている気もするが。
かつてお笑いでデビューしたものの最近では司会が本業になっている芸人も多い。さんまにしてもダウンタウンにしても、人のあげ足をとって、ただやかましく笑い転げているだけのようにも思える。
なんだか話がそれてしまった。笑いも鮮度がないと飽きがきてしまう。連日お笑い番組ばかり見ていたら当然糖分過多になってしまうに違いない。身体にも頭にもよくないだろう。気をつけねば・・・な。

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“仕事は素早く切り上げて「俺サマータイム」を実現しよう!”
R25」2007.8.2号より。
このコピーの前のほうはどうでもいいが、夏だからカッコ内の「俺サマー・・・」というのが気が利いている。暑い時にだらだら仕事をやっていてもよけい疲れは増すばかり。できるだけサッサと仕事は片付けたいものだ。
上記のようなコピーとともに“スピード仕事術入門”について紹介されていた。つまりどうしたら時短ができるかというものだった。たとえば、企画書などの文書作成に時間がかかりそうな場合は、完璧主義をやめて、早めに上司に相談する、など。
また、いいアイデアが出なくて何度もブレストをしているなら、ペア単位(つまり2人一組)でやるのが効率がいいともいう。そして、ヒマな上司に話しかけられ、仕事がなかなか進まないときは、「相談があるので、あと10分だけ時間をいただけますか?」がいいらしい。
私がちょっと気になったのは、日に日に増える名刺の管理は、携帯電話のカメラ機能を使う方法だった。もらったら、その日に撮影しておけば、見つけやすいというものだ。実際財布の中にあった以前もらった名刺を接写モードでケータイで撮ってみた。こうしておけば、名刺をなくしても内容はバッチリだ。バスの時刻表なども撮ったことがあったな。
そもそも、整理整頓の基本は、時系列で保存できているかどうかなのだ。それは、数年前に読んだ「超整理術(法?)」(野口悠紀夫著)にも書いてあった。そして、A4サイズの使用済みの封筒に雑誌や新聞やパンフの切れ端を月別に放り込んでおいたことがあった。
それは、あとで何かを調べる時に意外に役に立ったことがある。その後は月別でなく面倒なので年別にしてしまったが。個人で調べる分には“だいたいいつ頃だったっけ?”程度が分かれば問題なく済んでしまう・・・な。


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3年前の日記で阿久悠さんのフレーズについて触れていた・・・

今月1日70歳で亡くなった阿久悠さんのことを、自分も過去の日記で触れていたことを思い出した。極めて安易ではあるが、それをコピーしてみようと思った次第。2004年の7月と9月の2回ほど書いていた。(以下、注以外全文コピーのまま。)

at 2004 07/04 21:25 「僕の日記は、アンテナが錆びつかないように、磨くための手段でもある。」

「日記力『日記』を書く生活のすすめ」阿久悠著より。

氏は23年間毎日欠かさず日記を書き続けているという。それは作家としての神経が眠らないようにするためだと言っている。

しかも書いている内容は自分がなにをどうしたかの出来事ではなく、世の中で起こっていることをニュートラルな感じで書き綴っている。

一般人はむしろ日常生活では神経を休めることを目指すものだが、さすがクリエーターの心構えは違うと感じる。また言い換えれば、日記を書くことで感性を磨き続けているのかもしれない。

注・この本が発行されたのは2003年。今年までなら27年間日記を継続してしたかもしれない。

at 2004 09/26 22:12 良いエンターテイメントを作るには「興奮の連鎖」が必要。
朝日新聞」9月24日付け。阿久悠氏のことばより。

話はプロ野球再生への課題について述べている部分だったが、なぜか上記のフレーズが気になった。氏の仕事柄、次のように話している。

作詞家が、「すごいいい詞ができた」といったら、作曲家や歌手やプロデューサーが、「よしやろう」と取り組んでくれたときに初めていい作品ができるという。

その逆は、一人でも情熱のない人がいたら台無しになるともいう。

べつに、「興奮の連鎖」がいい仕事の結果を生むのはエンターテイメントの世界だけではないだろう。一般の会社でも、組織のなかで仕事をする場合は、同様のことが言えそうだ。

プロ野球も本当に熱意のある経営者が集まらないと発展しないのでしょうね。

注・ここでの経営者とはオーナーという意味で使っている。

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飾り物や芸を取り払ったものがスポーツだと日本人は知っている・・・

「甲子園の詩」(阿久悠)の詩の解説より。
毎年8月8日になると全国高校野球選手権大会が開幕する。毎年夏の甲子園が始まると阿久さんはスポニチ紙上で連日テレビで観戦した甲子園の試合を詩にしていた。
そして、これは昨年(第88回大会)の引き分け再試合となった決勝戦駒大苫小牧早稲田実業の詩の最後の部分に詩とは別に解説を書いていた部分にあったもの。
その日の詩のタイトルは「二〇〇六年 いい夏」というものだった。詩の最後の部分は「二〇〇六年 いい夏 人々は日記にきっとそう書く」で締めくくられていた。(なおその前日のタイトルは「終わりなき名勝負」だった。)
残念ながら、その再試合での詩が「甲子園の詩」のラストになってしまった。今年はとくに長い残暑の始まるような気もする・・・
さて、タイトルのフレーズだが、これはハイスクールの生徒の野球をなぜ騒ぐ、とアメリカのバスケットの選手が言ったことに対して、阿久さんが心から感じていたことだったのだ。いずれにしても、高校野球アメリカより日本のほうがずっと強いことは確かだ。
http://www.aqqq.co.jp/2006koshien/2006koshien_top.html