年をとるってことは、細胞が老けても魂が老けることじゃないから。

「ゴールデンミニッツ」2007.6月号より。
このフリーペーパーは毎号、長年にわたって活躍中の40代〜60代の男の顔写真(白黒)が表紙になっている。竹中直人井上陽水渡辺謙北野武・・・。そして表紙の登場人物が特集としてロングインタビュー記事として掲載されている。この号で14号になるが、矢沢永吉だった。そしてオヤッと思ってしまった。
というのも振りかえってみれば、第1号が矢沢だったからだ。どうして同じ人物を取り上げるのだろうとちょっと気になった。その理由は彼のインタビュー記事の最後のページを捲ったときにわかった。
もともとこれは広告収入で成り立っているフリーペーパーだったのだ。そこには、6月27日発売の『THE LIVE EIKICHI YAZAWA DVD BOX』の詳細な宣伝が掲載されていた。このフリーペーパー発行日(6/26)とほぼ合致していた。
コピーは“矢沢永吉、日本ロックの歴史を物語る映像がDVD BOXでリリース!”とあった。彼のファンならゾクゾクするかもしれない。
ほとんどが前置きになってしまったが、今日取り上げたフレーズはいかにも永ちゃんらしい発言だ。そのあとに続く言葉も追加しておこう。
「若いってことは細胞が若いんであって魂が光ってるってことじゃないから。だからこそ、50代だろうと60代だろうと、何かを始めるのに遅すぎるってことはない。要は、気持ちの持ち方よ。・・・」
と、こんな調子だった。ただただ、元気な団塊の世代の代表だなと思うばかり・・・

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多忙で責任ある仕事を持つと、何かを捨てる覚悟がなければやっていけない・・・
朝日新聞、土曜版」2007.6.30付けより。
“メンターに聞け”というコーナーで、次のような質問があった。「多忙で責任ある仕事を持つと、何かを捨てる覚悟がなければやっていけないと聞きます。何を捨てていますか?」というものだった。
それに対して経済評論家の勝間和代さんは「捨てたものはありませんが、やめたものはあります」と答えている。捨てるもやめるも同じようなものだが、その中身はなんだろうというのがちょっと気になった。
それは、だらだら見るテレビ、電話、お酒、たばこ、コーヒーで、つまり依存性のあるものをやめたら驚くほど時間を持てたという。そういえば、何となく時間をつぶしてしまいそうなものばかりだ。長話になりやすい電話は必要最低限にしているという。
たばこは20歳くらいから妊娠中以外は一日5〜10本吸っていたが、禁煙本で勉強し3日我慢したらやめられたという。意志が強いんだな。お酒はほぼ毎日、ワインなら半本、お酒なら1〜2合飲んでいたという。しかし、医師から「女性がそのペースで飲み続けたら10年くらいで肝臓が壊れる。まだ間に合うからやめなさい」といわれこれもやめたという。コーヒーは去年やめていた。
すると、得られたものはゆとりある時間ばかりではなく、眠りが深くなって体調もよくなったことだと感想を述べている。やはり、いい仕事をするためには、何かを捨てたりやめたりすることも必要なんだろうか・・・?

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クロースアップ・マジックの根底にあるのは究極のもてなしの心・・・
朝日新聞」2007.7.2付けより。
この面は朝日求人の広告ではあったが、一部の“あの人とこんな話”というコーナーにクロースアップ・マジシャンの前田知洋さんの話があった。クロースアップ・マジックというとすぐに、この人を思い浮かべる人も多いことだろう。テレビには何度も登場している。この世界ではもう第一人者だ。
(今年の2月15日の記事では彼のコミュニケーションとしての“つかみ”について触れていた。そこではお客さんへのサービス精神も書いている。)前田さんのマジックはいつも洗練されて上品な感じがする。一見何気ないようなトーク、そこからまさか!と思うようなサプライズが生れる。そして目の前の観客はオドロキに満足する。それはイコール感動でもある。
いきなり一流にはなれない。彼はクロースアップマジックだけを仕事に独立してから20年、その間何度もくじけそうになったと振り返る。軌道に乗るまではやせ我慢の日々も過ごしている。「逆にこの分野は苦しいがゆえに参入してくる人がほとんどない。だからこそ私は挑んでみたかった。人間は楽をしては磨かれないですからね」この最後のフレーズもグッとくるな。
実に軽く言っているようだが、20年間の“苦労す?アップマジック”が今花開いているのだろう。お客を大切にもてなすということを常に念頭に置いているようだ。すぐれたエンターテイナーは人の心をも温かくする・・・かぁ。

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写真を撮っちゃうと、人間、案外、ものを「見なく」なる。
小説新潮」2007.6月号より。
「デジタルはアナログより人に優しい」と題して、養老孟司さんが書いていたエッセイの中にあったもの。意外なことだが養老さんがデジタルカメラを触るようになったのはほんの数年前だったのだ。
それは写真をとるのが好きじゃなかったからだ。というのも現役で大学で教えている時には仕事で解剖の写真を現像までしていたからだった。仕事でパソコンを使っている人が家でまでパソコンをやりたくないというのと似ている。
そんな養老さんだったが、あるとき趣味というかライフワークの昆虫の研究に、デジタル機器が役立つことに気づいたのだ。パソコン、写真、プリンタ、スキャナの組み合わせを使うことで好きな虫の世界の研究がより楽しくなったという。
つまりコミュニケーションや取材や整理のツールとしてデジカメのデータが使えるということのようだ。氏は「デジタル、だめ」って言ってる人は、デジタル機器が使えないんじゃなくて、デジタル機器を使って「やりたいことがない」んじゃないのかな、とも言う。
氏には「虫の研究」という「やりたいこと」がはっきりあったから、有効にデジカメも利用できているのだろう。そういえば、私のデジカメはもうホコリをかぶったままだった・・・
(なんだか書いているうちにタイトルのフレーズとはずれてしまったか。)つまり写真をいったん撮ってしまうと、それだけで満足してしまい皮膚感覚を使うことを忘れてしまう。だから何も覚えていない。そんなところも養老さんが写真を撮るのが好きではなかった理由らしい。