何気ない人や乗り物の動きをエネルギーにできないか・・・

昨日の日記で日本の電車運行の正確さに触れたら、ふと思い出したのは駅の混雑だった。昨年の秋に実験が行われた「発電床」を連想してしまった。つまりそれは「駅を毎日通る大勢の人のエネルギーを利用できないかという発想で始まった研究開発」のことだった。
1日に約76万人が乗り降りするJR東京駅で、改札を通り抜ける乗客の“重み”を利用して発電する「発電床」の実験だったが・・・
それは「東京駅のすべての改札口にシートを敷いたとしても、1日の総発電量は「100ワットの電球を十数分間つける程度」(JR東日本)に過ぎず、実用化までの道のりはまだまだ遠そうだ。」とも報道されていた。これでは大したエネルギーにはならない。
それならば・・・
人の重みよりも乗り物の重みのほうがもっとエネルギーを蓄積できるのではないだろうか、と単純に考えてしまった。たとえば、車が頻繁に通る交差点などにこのシートを道路の下に敷いたら、短時間でもっと大きなエネルギーが得られそうな気もするが。
さらに、電車の線路の下にも「発電床」のシートを設置すれば、数十トンもの電車がそこを通過する度にかなりのエネルギーが蓄えられるかもしれない。また、飛行機なら滑走路に「発電床」を敷けば離着陸時に必ず効果も得られそうだが。
こんなふうに素人は勝手な想像をしてしまうが、専門家はそれがダメと分かっているからせいぜい人の重さだけを頼りに発想したのだろう・・・な。いずれにしても省エネもいいが同時に何気ないところからも創エネを目指すことも必要かな、と思った次第。




日本人、とくに都会人はせっかちすぎる?朝の駅周辺の人の流れは恐ろしいくらいのスピードになっている。あのエネルギーはすごい。

1日に約76万人が乗り降りするJR東京駅で、改札を通り抜ける乗客の“重み”を利用して発電する「発電床」の実験が、16日朝から始まった。

 人の重みで、床に敷いたシート状の「圧電素子」を振動させて発電するという仕組み。丸の内口北口改札の6つの通路にシートを敷き、発電量を示す電子パネルを設置した。実験は2か月間続け、圧電素子の耐久性などを確かめる。

 駅を毎日通る大勢の人のエネルギーを利用できないかという発想で始まった研究開発。だが東京駅のすべての改札口にシートを敷いたとしても、1日の総発電量は「100ワットの電球を十数分間つける程度」(JR東日本)に過ぎず、実用化までの道のりはまだまだ遠そうだ。

2006.10月
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「自分が病気になったとき、自分が働く病院にかかりたいと思えるような病院にしよう」


「院長の独り言」というブログより。

「未来を創る人たちへ」と題するエッセイ(6/29付け)のなかのワンフレーズ。書いていたのはoumiclinicさんという現役の医師の方だった。実に素晴らしいポリシーで、嬉しくもなる。だからこそちょっと気になった次第。

以下エッセイの一部を抜粋させていただく。
「スタッフをやる気にさせるには、働きやすい環境を作らねばなりませんが、そんな環境を持つ職場は、実は患者がかかりたいと思える病院なのです。・・・(中略)・・・これ(上記フレーズ)は、スタッフたちに良く話す言葉で、幾つかある私の座右の銘のうちの一つです。ケーキ屋さんで、レストランで、スーパーで、肉屋さんで、魚屋さんで、他にも様々な職場で働いている方々が居られますが、自分のお店で売って(作って)いるものを、安心して自分や家族に食べさせることができますか?自信を持って皆に勧めるものを売って(作って)いますか?誇りを持って仕事ができていますか?」
ともあった。実に分かりやすい。つまり上記フレーズはほとんどどんな職業にも当てはまる意味合いを持っていたのだ。とくに人的サービスが要求されるところでは、大切なことだろう。
人は悪いことはたった一つのことで判断してしまうが、良いことはいろいろな組み合わせで決めることがある。サービスはいいでも価格が高過ぎるとか、迅速ではあっても確実さに欠けたらマイナスなイメージをもたれやすい。
人的なサービスを含め環境、技術力、雰囲気、リーズナブルな価格、安心感、丁寧さ・・・そんなさまざまなものが組み合わさって、本当にいいかどうかを人は感じとっている。それによって信頼が得られ、次への期待度が高まる。そしてリピーターへとつながっていくのだろう・・・な。
この「院長の独り言」ブログは一年間にわたって書かれ、7月4日で終了しているが、医療の現場からまだまだいろいろなことをレポートして欲しいもの。






に未来は有りません。良い病院は、スタッフが絶えず真摯に、そして懸命に仕事に向かえば、あとは患者たちが作り上げてくれます。そのスタッフをやる気にさせるには、働きやすい環境を作らねばなりませんが、そんな環境を持つ職場は、実は患者がかかりたいと思える病院なのです。
「自分が病気になったとき、自分が働く病院にかかりたいと思えるような病院にしよう」

これは、スタッフたちに良く話す言葉で、幾つかある私の座右の銘のうちの一つです。ケーキ屋さんで、レストランで、スーパーで、肉屋さんで、魚屋さんで、他にも様々な職場で働いている方々が居られますが、自分のお店で売って(作って)いるものを、安心して自分や家族に食べさせることができますか?自信を持って皆に勧めるものを売って(作って)いますか?誇りを持って仕事ができていますか?

医師の地位は年々低下し、多くの医師は、かつてほど尊敬されていないと感じており、その処遇には多くの疑問を抱きながらも誇りを持って仕事を続けています。しかし、その現場の葛藤を知ってか知らずか、最も成績優秀で、熱き「心」を持ち、勤勉で実直な学生たちの多くは、依然として医師を志しています。そんな若者達の熱意を踏みにじろうとしているのが、厚生労働省をはじめとした


不安を解消したい、その必死な思いが自分を支えていたのかも・・・
R25」2007.6.28号より。
西村雅彦にとって、“不安を解消する方法”は俳優として認められることだった。今ではニヒルでもコミカルな役でも演じられるちょっとクセのある存在感になっている。そして、とくにイヤな奴を演じている時は印象深かったりもする。
そんな彼も24歳の時、不安と希望をいだいて上京していた。そして、たまたま26歳の時に、当時はまだ無名だった三谷幸喜率いる「東京サンシャインボーイズ」に出会っている。そして、それまで2年間いた新劇の劇団から「東京・・・」へ移っていた。
その後、『古畑任三郎』でブレークしている。常に当時あった不安を無我夢中に演じ、自らを鍛えることでそれをエネルギーに変換したのだろう。彼自身の言葉によれば「体調によって思うように演じることが出来ない場合もあるし、台本を読む時間がない時もある。それでも寝ずにやる。・・・」
そのストイックな姿勢の積み重ねが現在の西村の活躍につながっているのだろう。安定した人気を継続できるヒミツは、常にチャレンジすることを忘れていないからかもしれないな。