眠かったら授業中に寝てていいから。

人間力を養う生き方」鍵山秀三郎山本一力著より。
これは担任の若い女の先生が、山本氏に対して中三の頃言った言葉だった。どうしてそんなことを言えるのだろうか。自分に自信がなければ、とうてい口に出せないだろう。山本氏が30年以上前のシーンを覚えているのはこの言葉がきっと身に沁みたからに違いない。
山本氏は高知から東京に出てきて、新聞配達店に寝泊りしていた。中三から高三までの4年間朝夕配り続けたという。最初のひと月で梅雨になり、ずぶ濡れになって配るのが辛くて、辛くて学校のほうを一日、二日と休むようになってしまったのだ。
夕刊を配り終えて帰ると担任の先生が来て、次のように言ったのだ。「あなたがどれだけ大変なことをやっているか、私も朝4時に起きてみてよくわかった。起きるだけでも大変なのに、あなたは毎日配りにいっている」
そのあと、大変なのはわかったが休み癖をつけないで学校にだけは出てくるようにと、タイトルにあげたフレーズを言ったのだ。しかも、「寝ていることを他の先生が文句を言ったら、私がその先生に話をしますから」と付け加えている。
こんな先生の言葉で山本氏は発奮し、再び学校に通いはじめたという。後日談で、今でもその先生はお元気で、直木賞を受賞後に何度か会っているという。素晴らしい再会であったことが想像される。


イデアって涸れることはない・・・涸れるのは気力だと思うのです。
人間力を養う生き方」鍵山秀三郎山本一力著より。
山本氏は現在、月に24,5本の連載を抱えている。週刊誌、月刊誌、機関誌、新聞の連載等。毎日何かしら締め切りがあるという。いくらやりたいこととはいえ、大変そうだ。
その間に、テレビ番組や雑誌の取材もある。限られた時間の中で、アイデアを生み出し創作活動をしている。実に頭も身体も酷使せねばならない。作家はみなそうだろう。(仕事はどれも厳しいものだが。)
涸れるのはアイデアよりもむしろ気力だという。気力が涸れてくると、面倒くさくなって簡単にやろうとし始める。山本氏はそれでは読者に対しては無責任だと考えている。小説だからPL法(製造物責任法)が適用されなくてすむなんてことはない、というのが彼の根底にある。
読者を裏切らないものを書き続けていくことが、直木賞作家の責任だと考えているようだ。それは選考委員、読者への義務だと思っている。実に明確な考え方だ。だから、レベルも下げられない、手を抜けないということだろう・・・な。

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物書きというのは究極の営業マン・・・
人間力を養う生き方」鍵山秀三郎山本一力著より。
なるほど、読者に本を買ってもらわねばならないからそうとも言えそうだ。たとえプロでも読まれなければ存在価値がないだろう。また、いくらえらそうなことを書いたところで、反発を食らえば、継続できない。
読者に楽しんでもらえ、次を期待されなければ作家は営業マンとはいえないだろう。物書きはその前に製造者、つまりメーカーでもある。そして、読者は当然お客さんになる。そのお客さんとの相性がよければ常連の読者になってもらえるだろう。
一時のヒットメーカー、ベストセラーにはなっても、仕事となればそれを継続できなければ本物とはいえないだろう。つまりある一定のレベルを継続できるかどうかが問題といえそうだ。
たとえば、松本清張司馬遼太郎の作品ならどれをとってもある程度は満足させてもらえる(当たり外れはほとんどない)と思えば、幅広いファンもつくだろう。作家が信頼されている証拠だ。本が商品ならそれを買ってくれる読者は当然消費者になる。
物書きが営業マンという考え方は、山本氏がかつて営業を経験したからこそ言える言葉なのだろう・・・な。