「すごい」と言われているうちはすごくない・・・

「心にエンジンがかかる50の小さな習慣」中谷彰宏著より。
これは一瞬いったいどういうことであろうかと思ってしまう。一見すごいと思えることは、本当はすごくないという。では、どういう人がすごいのだろうか。
たとえば、ボウリングでは、すごいフォームの人はたいしたことはないという。一番すごいのはむしろ普通のフォームの人のほうだったのだ。それは外から見ると力がはいっているようには見えないからだ。
野球ではたまにファインプレーを目にすることがある。それは派手ですごいプレーに見える。しかし、もし守備力に余裕があれば、さりげないプレーに見えるだろう。
そんな何気ないプレーでエラーが少ない野手がゴールデングラブ賞を受賞している。当たり前のプレーこそがすごいのだと分かる。
プロレスでは派手な大技でマットに叩きつけられたりするが、受け身がしっかりとしているから、大怪我はしない。技のすごさよりもむしろ、(たとえショーとはいえ)流血し大技に耐えられるところにすごさを感じる。
総合格闘技では意外に地味な関節技でギブアップになることもある。あっけなく決まってしまうともの足りなささえ感じる。しかしその真剣な迫力こそがすごいのかも。
もっと身近なところでは、たとえ大声で怒鳴って喋っていても、内容がなければすごいとは思えない。逆に小声でも体験に裏付けられた説得力のある内容ならすごいと感動する・・・かも。