「五里霧中」から「無我夢中」へ。

朝日新聞」2007.4.29付けより。
ふだんはほとんど目にしない「TVダイアリー」という小さなコラムで目にしたフレーズ。とちらもムチュウという同じ音の二文字が共通していて、言葉の遊びのようにも思えた。これは、今年NHKを定年退職し、民放に移ったばかりの宮本隆治氏の言葉だった。
34年間のNHKアナウンサー生活から民放に移った初仕事は不安だったという。きっと誰でもそうだろう。しかし、前のキャリアが生かせるだけの実力があるのも事実だろう。私も一度だけ見たことのある「週刊オリラジ経済白書」という番組だった。ちょっとNHKっぽいタイトルのような気もするが。
最初の収録日に宮本氏があいさつをすると、ゲストの一人、大竹まことが「司会が硬い!段取りを追うな!」と奇襲をかけてきたという。大竹はきっと、宮本を緊張から解き放とうと思ったのだろう。その一言で、宮本の心の中の「濃霧注意報」が一気に解除し、開き直ることができたという。
NHKではまず、こんなことはない。ゲストが話している間は静かにしているのが普通だからだ。民放では、そのへんのルールはあいまいのようだ。「段取りを追わずに流れに任せる」これが民放の流儀だった。宮本は「五里霧中」を「無我夢中」へ変えていきたいというが、これは今年の新入生や新入社員たちも同じ気持ちだろうな・・・


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五里霧中」ということばは「五里霧」+「中」であって、・・・
「中国故事物語」より。
ふだん何気なく使っている言葉も、その出来上がるまでの過程は意外に知らなかったりするもの。で、昨日の日記のタイトルにもあった「五里霧中」を手元にある上記の本で調べてみた。
話は中国の後漢時代にさかのぼる。「張楷(ちょうかい)」という学者は実力、人気とも抜群で門弟は常に百人いたという。当時実権を持った政治家は、今の言葉でいえばブレーンとして迎えたかったが、いつも遠慮して断っていたようだ。
その張楷は学問ばかりではなく、道術を好み「五里霧」をなしたのだ。つまり方術で、五里も続く霧を起こしたといわれる。魔法のようなものだろう。その術を学びたいという人がいても姿をかくして会わなかったという。そして「五里霧」という言葉が生れている。
だからはじめから「中」がついていたわけではなかった。五里も続く深い霧の中に迷いこめば、東も西も皆目分からなくなってしまう。ということで、要するに「物事の方針の見込みがたたぬこととか、心が迷って途方にくれる」たとえに用いられているって言うわけです。さすがに中国は国と同様に物語のスケールも大きいですね。