品格を失わない上品な凄味の利かせ方・・・

日経ビジネスソシエ」2007.5.01号より。
ビジネスの上では、単におとなしいだけの人間では、ものごとはうまくは運ばないことがある。たまには、ちょっとした凄味(あいつは怒らせると怖いというような)を見せつけておくことも必要になってくる。
その際、声を荒げて怒鳴るというのも、ちょっとビジネス上まずいだろう。そんな時の方法は意外に簡単だった。普通のセリフを倒置法にすればよかったのだ。すると自然な凄味が出せる。
例えば、上司が部下を叱る場合、「俺の言っていることが分かるな?」→「分かるな?俺の行っていることが」にするだけでいい。「見積りは、来週に間に合いますか?」→「間に合いますか?見積りは、来週に」と、こんなふうになるわけだ。
考えてみれば、要するにこれは「オイッ!」とか「バカヤロー!」と怒鳴ったあとに、相手がキョトンとしていたら、その理由(中身)を述べるのと似ているか。つまり感情的なコトバを先に持ってきて注意をひき、その中身を後付けするだけで、そこそこ品格を失わずにすむ・・・ってわけかな。


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女心を引き寄せるカリスマホストの“匠の技”。

日経ビジネスアソシエ」2007.5.01号より。
この号の特集は「対話力を一気に高める“サプライズの技術”」というものだった。内容は各業界で現役の第一線で活躍する20人が、それぞれこんな工夫をして仕事に生かしているということが紹介されていた。
一体どんなサプライズの方法があるのだろう、と期待して興味深く読んだものの残念ながら、とくにこれと言って印象に残るものはなかった。
その中で、上記のフレーズがちょっと気になった次第。“匠の技”、これはまるで伝統職人の技術のような大げさな表現だ。それはともかくとして、新宿歌舞伎町のカリスマホストで経営者のTさんは、ボランティアで街のゴミ拾いする意外な一面を持っているという。
彼の女心を引き寄せるテクニックの紹介があったので、簡単にまとめてみよう。
1.予想しない行為で印象づける。容姿、体型、年齢など相手がコンプレックスに思っていることや、初対面では言わないことをあえて投げかける。
2.長期的に自分を買い続けてもらうために、時には5分で席を立つ。つまり自分の魅力を小出しにする。
3.効果的なプレゼントで一緒にいない時間を制覇する。2分で買っても、一日かかって見つけたという。
4.女性が求めているものを満たしてあげる。例えばグチを聞く、大騒ぎをしたい・・・など。
とは言っても、そこそこイケメンで話術がうまかったり、というような前提条件があればこそ許されること・・・のような気もするが。


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日本の台湾通に「テレサ・テンは台湾の美空ひばりだ」とまで言われていた・・・
「私の家は山の向こう」有田芳生著より。
今の20代、30代の人たちには美空ひばりにしても、テレサ・テンにしてもほとんどなじみがない歌手だろう。
副題は「テレサ・テン十年目の真実」とあった。この本の単行本が出版されたのは2005年2月だった。今月の初め書店に文庫本が平積みされていたので、さっそく買って読んでみた。
実に多くの取材協力者と参考文献を通じて、10年もの歳月をかけて書かれていた。それだけ有田氏のテレサ・テンに対する思いが深かったともいえよう。
「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」どれも大ヒット曲だった。この3曲は3年連続日本有線大賞、全日本有線放送のグランプリを受賞していた。いまはもうどれも懐メロの演歌になってしまった。
しばしば、歌姫という言葉を耳にする。例えば、美空ひばりは昭和の歌姫とか。テレサ・テンはアジアの歌姫とも言われていた。そういえば、20年以上前に東南アジアの旅行に行った時に彼女のテープを何本か買ってきた覚えがある。(きっと海賊版だろうが。)それだけアジアでも曲がヒットしていたということかもしれない。


「ば」という一文字のために詞もメロディーもあるとさえ思った。

「私の家は山の向こう」有田芳生著より。
昨夜日記を書いた後で、ふと思い出したことがあったので追加しておくことにした。
テレサ・テンは第二弾シングル「空港」で74年のレコード大賞新人賞を獲得していた。実際台湾や香港では、日本で言えば美空ひばりクラスの歌手だったが、日本では新人扱いだった。
ところで、美空ひばりの最後のヒット曲「川の流れのように」とテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」はそのメロディー、歌詞はまったく異なっていた。しかし、人生そのものをゆったりと歌っている点では共通しているようにも思えた次第。
テレサ・テンのヒット曲の多くは作曲は三木たかしと作詞の荒木とよひさによるものだった。作詞家の荒木は三木のつくった曲を聴きながら「時の流れに身をまかせ」を一時間ほどで書き上げることができたという。しかし、これがテレサ・テンの最後の大ヒット曲だった。
淡々とした曲調のなかで、一音高くなるところが勝負だと思い、ここに気持ちを発散させる言葉を使おうと思ったようだ。それが「だから/お願い/そばに置いてね」の「ば」だったのだ。決して声を張り上げることなく滑らかに高音に入っていく。やはり素晴らしい。
蛇足
この本を読んだら、急にテレサ・テンの曲を聴きたくなってCDを一枚買ってきた。その際CDショップでいきなりテレサ・テンのCDはどこですか、と聞くのがちょっと恥ずかしくて、演歌コーナーはどこですか、と聞いた。確かに演歌コーナーですぐに見つかった。
そしていま、テレサ・テンの曲を何度も聴きながらこれを書いた次第。(なんと透明に澄み切った声だ。やはり歌姫だった。)たまには、懐メロの歌謡曲を聴くのもいいかな。




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中でもバラエティー番組は、被写体のリアルをありのままに映し出す。
産経新聞」2007.4.26付けより。
リアルをありのまま、という表現はちょっとおかしいが、・・・・
これは「断」というコラムのなかで、東国原知事が“私がテレビに出る理由”と題して述べていたなかにあったフレーズ。元タレントだった強みでテレビウケすることが彼の強みとなっている。
しかし、そんな反面「テレビに出すぎ、ニュースはいいがバラエティ番組は行き過ぎ」などの批判があるという。それに対しての知事の意見だった。彼は宮崎県のPRのためセールスマンであることを前面に出している。
そして自分は「メディアに宮崎を露出させている触媒に過ぎない」とも述べている。ニュース番組だけ出ていても、それらの視聴者は限られるからバラエティも含めて登場しているようだ。テレビはその人物の人柄、性格、本質、思想・・・どれもストレートにリアルに映し出してくれる。
こんな活動ができるのも、元タレントで話題性があり注目されているからこそできる芸当でもあるだろう。決してほかの無名の知事ではマネができない。別にタレント活動をしているわけではないので、いまのところは好感を持って眺めていてもいいのではないだろうか。