日本はもう年間80万人ずつ減っていくんですよ、人口が。

「ファイブエル」2007.4月号より。
これは、田中康夫氏(元長野県知事、作家)が言っていることだった。それを聞いたある長野県の女性は、「うちの県は3年でなくなっちゃうんだ。」と言ったらしい。というのは長野県の人口は220万人だったからだ。もし田中氏の言うとおりなら計算上は3年で(長野県は)誰もいなくなるのと同じことになる。
本当にそうなんだろうか、という疑問は残るものの確かに団塊の世代がこの数年で定年を迎え会社などの組織から一気に大量に退いていく。また、出生率も低下しているためそんな感じがしないでもない。実際労働人口は毎年減少していることは確かだろう。
単に学者や新聞の記事で数字や資料で示されるより、このように具体的に人口の減少を一つの県にあてはめてみるとリアルな感じもしてくる。ところで、自分の住む県や市の人口などはふだんからほとんど気にしていないことに気づいた次第。
時どき、量や大きさを東京ドーム何倍分とか東京ディズニーランドがいくつ分の広さなどという表現を目にするが、それでもまだ曖昧さがのこることもある。それは元々東京ドームに行ったことはあっても、本当の大きさなど気にしたことはないから、実感としてはピンとこないのだろうな・・・
蛇足
ウィキペディアによれば、
住民基本台帳に基づく2005年3月末の時点では、日本の人口は1億2686万9397人であった。

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これまで日本になかったスポーツビジネスを北の大地で展開しようとしている。
「ファイブエル」2007.4月号より。
これは就任一年目で、日本一になった㈱北海道日本ハムファイターズ社長の藤井純一氏のことだった。昨年のプロ野球ペナントレースの開幕前には、プロの評論家さえも日ハムの優勝を予想しなかったのではないだろうか。
もちろん、この社長自身もプレーオフには残りたいが、リーグ優勝すらできるとは思っていなかったと振り返っている。北海道に誕生して、わずか3年でファイターズは地元ファンの心をしっかりとつかんでいた。
藤井氏はそれより前に、Jリーグセレッソ大阪の社長もしていた人だった。それまでの赤字体質だった経営をビジネスと考え、さまざまな営業センスと宣伝プロモーション能力で黒字転換していた。
日ハム球団の社長になったとき「サッカーはJ1から降格する不安が常にありましたから、6位までしかない野球のほうが精神的にはラクでしたね(笑)」とも述べている。
大学野球でも東京六大学は6校だけの戦いだが東都大学の場合は4部まであって、最下位チームは入れ替え戦を意識せねばならない。一度降格すると這い上がるのも厳しい。
話しがそれたが、日ハムは人気の新庄が引退し、中心打者の小笠原もFAでジャイアンツに転出してしまった。それでも集客が衰えずリーグ優勝なら本物だろうが・・・


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美空ひばりは昭和の歌手として終わらなかった。
「ファイブエル」2007.4月号より。
エッセイのなかで目にしたフレーズ。おそらく中年以降の人なら誰でもどこかで、現役時代の美空ひばりの歌をテレビやラジオで聞いたことはあるだろう。しかも、歌姫という造語はあるが、それに“昭和の”とつけば、美空ひばり以外には想像できなそうだ。
何十年にもわたって、私が生れる前から活躍していたので長く生きたように思えるが、52年間の生涯は実に短命だった。
この世を去ったのは1989年(6月24日)、というより平成元年といったほうがピンとくる。だからこそ、昭和を代表する歌手だと思える。ところが、没する5ヶ月前にリリースした1曲「川の流れのように」が平成に入ってから大ヒットしたのだ。そして、現在も歌い継がれている。
ここでは、この名曲を世に送り出した当時の担当ディレクター宅間正純氏について触れられていた。「歌手と歌を出会わせる」このことがディレクターの仕事だったのだ。
そして、それが運命の出会いとなった時ヒット曲となり名曲となるという。
歌手自身がただ歌唱力があるだけでは、決してヒット曲は生れないということになる。曲、歌詞、歌手さらにはその時代背景などが微妙に絡み合って一致した時ではないだろうか。
いい曲は時代を超えて歌い継がれる、といえばカッコイイが、懐メロしか口ずさむことができない・・・私。もうほとんどカラオケにも行かなくなってしまったか。