多くの人は通勤時間をコストと考えている。

「通勤電車で寝てはいけない!」久恒啓一著より。
コストというものは、無意識のうちにかけたくないと思ってしまう。できるだけ効率的にするには、と考えるのが普通だろう。つまり通勤時間なら、短いほうがいいと思ってしまう。
しかし、久恒氏は逆に通勤時間を資源と考えていた。ということは、その時間が多いほどいいということになる。通勤時間を資源とするための条件は「居眠りせず、必ず座っていく」ことだった。筆者はわざわざそれを得るために住まいを始発電車がある場所に居を構えてきたという。
一見すると、職場の近くに住むほうが通勤時間が短いから自分の時間が増えると考えがちだ。しかし、会社の近くに住んだからといって、その時間を有効に使っている人はどれほどいるだろうか。遅寝遅起きがメリットだと考えてしまうのではないだろうか。
むしろ、強制的に片道1時間以上の通勤時間があれば、その時間は誰にも邪魔されない自分だけの時間として確保できるのだ。
1日2時間、週10時間、月では約50時間弱、1年で約500時間になる。これだけあれば、かなりの本も読めるだろう。また仕事の段取りもできるはず。電車は動く書斎だという考えは間違いではなさそうだ。(これも郊外に住んでいればこそ・・・かな。前日の日記ともやや関連していそうだが)