試験の偏差値と人間の価値の間に何か強い関係があるのではないか・・

フジサンケイビジネスアイ」2007.3.14付けより。
“大切なのは人間の偏差値」”というテーマで加納時男氏(参議院議員、元東京電力副社長)が書いていた中にあったフレーズ。結論を先にいえば、もちろん上の両者にはほとんど関係はないということだ。
受験シーズンもほぼ終わるが、受験でよく使われるのが偏差値だ。そこで、加納氏は人間の偏差値ということを考えていた。そのモノサシには3つあった。以下簡単にまとめてみた。
1、「知性」①幅広くかつ深く知識を身につけ、与えられた問題を解く能力。「受動的理解力」②知的好奇心、探究力で新しい分野を拓く能力「能動的創造力」2、「勇気」難局に対してリスクをとって、挑戦する態度。3、「思いやり」他人のおかげで生かされていると考えると、おのずと感謝の気持ちが生れてくる。
大学受験の際使われる偏差値とはこの3つの要素のなかの「知性」の中の半分の「受動的理解力」に過ぎなかったのだ。だから、いくらいい大学を出たからと言って、人間的に優れているわけではない。
大学に合格したのは限られた部分の、一瞬の時点の判定結果だったのだ。創造力、勇気、思いやりなどは判定外のことになっている。人間の魅力は「知恵と勇気と思いやり」にあるらしい。あと、お笑い、ユーモアがあればなおいいかな・・・

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いいことが想像できないと、人は消極的になり行動が鈍る。
フジサンケイビジネスアイ」2007.3.14付けより。
工学博士の志賀一雅氏が述べていたこと。現在のところ景気が上向きなので求人は多くなっているらしいが、就職の門は狭いという。ちょっと変だと思った。この理由は応募者に意欲が感じられないから採用できないというものだった。結果的にフリーターが増えて大卒の30%にも達するらしい。
まあフリーターならアルバイトなどの仕事がある状態だが、ニートとなると働いていないことになる。イギリスではそれが約20万人いて、ドイツやフランスではそれほどいないようだ。で、日本は働かず勉強も職業訓練もしない若者(ニート)が80万人に達するという。
これはいいことが想像できない人と同じで、引きこもって行動しないということのようだ。先の明るい見通しがないとどうしてもそうなりやすいのだろうか。もし、仕事をすると、こんな楽しいことがあると想像できれば、それが仕事をしようという意欲にも通じそうだが。
“どうせ〜”という気持ちがある限り、前向きになれないのだろうな・・・。多少無理にでもまずは、いい状態を想像することが、やる気の動機になりそうな気もする。

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「古紙をばかにしちゃいかん。これは森林と同じなのだ。」
フジサンケイビジネスアイ」2007.3.14付けより。
中国で長者番付トップになった、女性経営者、玖龍(キュウリュウ)紙業社長の張茵(チョウイン)氏(49才)は、ある工場長から上記のように言われて感動したという。これが起業のきっかけにもなっていたのだ。
約20年前に、当時誰も見向きもしないクズ紙に宝を見いだし、競争相手もいない中で古紙回収業を始めている。当時の香港では古紙はクズ紙扱いで誰も古紙回収を経営する人はいなかった。27歳の時だった。
そして20年をかけてチャイナドリームを実現していた。個人の富はただ努力の積み重ねの結果だという。女性としては初めて中国一の富豪になっている。当時は1トン扱って1,500円から3,000円の稼ぎだったという。金融や不動産の世界とはくらべものにならなかったという。
また女性で重労働をする人は少なかったから、それで信用をつけることができたようだ。そういう若い頃の労働が原点だという。
一時はジャパニーズドリームかと思われるくらいに、急激に会社を大きくしたものの一転して事件の主役になった人物(H)とは根本的に異なっている。やはり世の中を欺けば実刑も当然だろう。張社長の場合は「道徳に厚く、勤勉であること、そして知恵が必要だ」と述べている。スタートは意外にも庶民感覚だった。