人は正しさだけでは興味を持ってくれません。

「つっこみ力」パオロ・マッツァリーノ著より。
この後には次のように続いている。「人はその正しさをおもしろいと感じたときにのみ反応してくれる」
誰でも正しいことを喋ったり、書いたりすることはできるもの。だからといってその話に関心を持ってくれるわけでも、ましてその人を動かすことができるわけでもない。
仮に本をとりあげてみれば、売れる本は必ずしも良い本とは限らない。正しさよりもむしろ面白いものが売れるのだろう。ということはこの場合、正しさはそれほど重要ではないことになる。
正しいと思ったことを、いかに面白く伝えられるかのほうが重要になってくる。正しいこともウケなければその価値も半減してしまうだろう。そこで思い出すのは学生時代の授業だ。
人気のある教師の授業はただテキストの内容を正しく解説するだけではなかった。いかにわかりやすく、面白く教えるかを知っていた。ポイントも具体的でつかみやすかったはず。そうでない先生の授業はただ退屈で眠くなるだけだった・・・かも。

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人の暮らしぶりは収入と資産、ふたつの要素で決まります。
「つっこみ力」パオロ・マッツァリーノ著より。

最近格差という言葉を頻繁に聞くようになった。新聞や雑誌にもよく使われている。たとえば暮らしぶりの尺度としては、年収がしばしば基準にされる。しかし定期収入だけを判断の基準としているのはちょっと無理がある。
年収1千万円の人と無職、年金生活の人では職業を持っている人のほうがいい暮らしぶりができそうでもあるが、実際はそうとも限らない。もし、収入がゼロであっても親の遺産が十億円ほどあれば、働かなくても一生リッチに暮らせるだろう。
働かなくても株などの配当金で不労所得が定期的に入ってくる人もいるだろう。だから仕事を持ってそこそこの定期収入があることがイコールいい暮らしぶりができるとは限らない。
格差という場合、ほとんどが収入のデータだけを問題にしているようだ。本当のお金持ちは働く必要はないのだ。また年金生活者のほうが扶養家族が多いサラリーマンより優雅な暮らしをしていたりする。
しばしばクレジットカードの申し込み時などでは、職業や年収などが限度額や入会資格の条件となっている。しかし、実際のショッピングとなると並みの会社員より、無職で単なる大金持ち(資産家)ほうがお買い物の額は桁違いに多い(はず)。

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それが本当に必要かどうか考えず、習慣的にやりとりしている。
朝日新聞」2007.3.11付けより。
これは読者からの投書欄「声」の中で目にしたもの。主な内容は、この人がケーキ屋で支払いをしようとしているときに、店員さんがプラスチックのスプーンを箱に一緒に入れようとしたので、慌てて断ったというものだった。
店員さんは親切心、サービスでスプーンを入れているようだが、筆者にとってはそれはゴミが増えることになるからお断りしたようだ。家に帰り自宅のスプーンを使えばすむと考えたのだ。
これはゴミを減らすための一つの例だろう。無意識のうちに無駄なゴミが増えてしまう事への注意でもある。この人は必要でないものを押し付けるのは過剰サービスと判断している。
そこで、店員さんは「スプーンは必要ですか?」というひと言を付け加えることで客は「どうだろう」と考えるはずだという。プレゼント用なら付けてもらってもいいかもしれない。
たしかに、喫茶店などでコーヒーを注文すると「お砂糖とミルクはお一つずつでよろしいですか?」と訊かれることもある。またそれらはセルフサービスのところもあるな。
環境問題を念頭におきながら、今後ほんのちょっとでもゴミを減らそうという意識をどれだけもてるかな・・・

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ほめられた言葉は、挫折したときに思い出すと力になります。
朝日新聞」2007.3.11付けより。
これは“おやじのせなか”というコラムのなかで、大学教授(数学者)でエッセイストの藤原正彦さんが語っていた言葉。『国家の品格』はベストセラーになっていた。
ついでながら、藤原さんは作家夫婦の次男だということもこのとき初めて知った。父は新田次郎で母は藤原ていだったのだ。(まあそんなことはどうでもいいが。)
父親は厳しかったらしいが、ほめる時はものすごくほめたらしい。その時の記憶が藤原さんには残っているようだ。ここに一つのエピソードがあった。
小3の時、父から算数の問題を出されて、1時間考えて答えを出したら、「すごい。よくやった。お前は独創的だ」とほめられたという。その後もほめられ、おだてられ数学者になったようなものだと述懐している。
さらに後年、「書いてみたらどうか」と父に勧められて、エッセイを書いたら「面白い」と言われ、結果的にその本で日本エッセイストクラブ賞を受賞したという。なんだかできすぎの感じもするが、両親が作家という環境やもともと才能があったのかもしれない。
親にほめられた言葉・・・あるかな・・・思い出せない・・・ないかも・・・

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・・・両親の写真。思えば、私はそのころの母の年齢を超えている。
「メトロポリターナ」2007.3月号より。
この号の特集は“ありがとう果てなく美しい人生”というちょっと分かりにくいが、人がそれぞれ持っている大切な思い出について触れていた。
そういえば、子供が親と一緒に写真に撮られるのはいつ頃までだろうか。うちなどはせいぜい小学校の3,4年ごろまでだったろうか。その後は友達どうしで撮り合うことが中心になっている。
自分の場合も中学時代には親とはほとんど一緒に写真は撮っていないはず。(恥ずかしさが伴なったのだろうか)子供の頃のアルバムは、父が写真を台紙に一枚一枚丁寧に糊付けで貼ってくれた。そして場所、日付、友達の名前などを書いてくれている。
今この手元にはなくても、海や山、また実家の縁側で親と一緒に撮られた写真を思い出すことができる。今の自分は当時の両親の年齢をはるかに超えている。
アルバムを開かなくてもその当時の写真を数枚思い出すだけでも、思い出が洪水のように押し寄せてくる。やはり今の自分の生活があることを考えると、両親には感謝以外の言葉は見つからない。たあたま明日から彼岸の入りになるか・・・両親の墓参りに行こう。