代用品への執念は暮らしを豊かにしてきた。

「朝日、天声人語」2007.3.5付けより。
ここに例として3つあげられていたのは、造花、人工芝、カニ風味かまぼこだった。
造花は美しく長持ちする花を提供してくれる。季節に関係なく部屋を明るくしてくれるのもうれしい。人工芝は野球場、ゴルフ練習場、一般家庭のベランダなどでもしばしば使われている。カニ風味のかまぼこは本物とは異なるものの雰囲気や味わいはたしかに似ている。安くてお手軽なところが重宝しているのだろう。
そのようなものは、あれば便利でそれだけ生活の幅、楽しめる機会を増やしてくれる。ファミレスやコンビニの食器などもそうかもしれない。本物とは異なるものだ。しかし、それらは決してニセモノとしてつくられたものではない。
時には本物以上に利用価値があるものもあるだろう。店頭で使用されるディスプレイなどは本物そっくりなものがつくられる。とくに食べものなどの生ものはそんな代用品がなければ長くは飾って展示することはできない。
ただし、行き過ぎた代用品はいただけない。ここに実例としてあったのは、中国雲南省の話。森林保護区のはげ山(採石場後の岩肌)を緑色のペンキで塗って緑化をはかったのだ。7人で45日かかって染め上げたもののあとで振り返ると植林のほうが安かったらしい。しかもいくら緑とはいえ毒々しくて樹木の緑とは似ても似つかないものだったようだ。
この場合は緑のペンキを使えば簡単に人工緑化にでもなると思ったのだろうが、とんだ計算違いだったようだ・・・な。

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食事は単に生存の手段であるだけではない。
「食べる西洋美術史」宮下規久朗著より。
つまり食事をすることは家族団らんの場であり、仲間とのコミュニケーションの重要な舞台でもあるということだ。もう死語に近いかもしれないが「同じ釜の飯を食う」という言葉も、食事をともにした仲間は特別な結びつきを感じるものだ。
また食事がビジネスの舞台となることはしばしばある。円滑な取引には接待やご招待などの形で食事の機会が持たれる。
日本の昔話の桃太郎もそうだった。鬼退治に出かける時に、桃太郎はイヌ、キジ、サルにキビダンゴを分け与えている。それは主従の関係を結ぶためのものでもあった。
もし、三国志ファンなら、“桃園の契り”という部分を思い出すかもしれない。そこでは、劉備関羽張飛が酒を酌み交わし義兄弟の契りを結んでいた。日本でもヤーさんの世界では似たようなことは行われているとは思うが。
まあ、こんな例をあげたらいくらでもあるだろう。年間の行事を振り返れば、冠婚葬祭に関連して必ずのように飲食が伴なっている。宴にはなくてはならないものが酒と食物なのだろう。
単に空腹を満たすだけでなく、人とのコミュニケーションの重要な手段としても食事が存在していることがわかる。しかし、飲食を共にしたからと言って物事が思うように運ぶとは限らない。そこがちょっと厳しい現実でもあるが・・・

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食べものや食事は西洋美術において常に中心的なテーマであった。
「食べる西洋美術史」宮下規久朗著より。
このサブタイトルには“「最後の晩餐」から読む”とあった。つまりこのダ・ビンチの大作の絵画がその食事をする情景の代表ともいえるのだろう。
同じ題名の作品はダ・ビンチ以外の何人もの画家によっても描かれていた。また西洋の古典絵画から現代にいたるまで食事をしている人物を描いた作品は実に多いことにも気づく。
また自然の風景の中で食事をする人物を描いた作品もあった。部屋の食卓の風景も描かれているものもある。静物画を振り返れば、そのモチーフとしては果物、肉、野菜酒の瓶やグラスに注がれたワインなどもしばしば登場する。
著名な画家達も食べものや食事の風景を描いている。ゴッホ、「馬鈴薯を食べる人々」「アルルのレストラン」、ブリューゲル「謝肉祭」、「収穫」、「農民の婚宴」、レンブラント「皮を剥がれた牛」、マネ「草上の昼食」「アトリエでの昼食」、ルノワール「舟遊びたちの昼食」、ダリ「最後の晩餐」、ウォーホル「最後の晩餐」、ベラスケス「水売り」、マチス「赤の食卓」、ピカソ「食堂」「貧しき食事」、モネ「昼食」、「夕食」・・・とごく一部を抜粋してみた。
しかし、日本では食事をテーマにした絵画は西洋に比べるとそれほど多くはなかった。文化の違いかもしれない。時には西洋では宗教的な意味合いがあったりもする。またそれだけ西洋人は食欲が旺盛なのだろうか・・・
(そういえば私が20代に描いた静物画のモチーフを振り返れば花瓶や花以外ではレモン、りんご、ぶどう、コカコーラ、ワインの瓶などがあったな。)

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「遊泳禁止」、「いい子は川で遊ばない」と書かれた立て札・・・
「相鉄瓦版」平成19年3月号より。
この号の特集は「川に誘われて」で、その中の随筆にあったフレーズ。今は建設省国土交通省となっているかもしれない。
日本各地にこの立て札が立てられてからというもの、川で遊ぶことは悪いこと、危険なことと決め付けられてしまった。そして大人も子供も自然と川に近づかなくなってしまったようだ。
せいぜい川に行くのは釣りが目的の人くらいかもしれない。もし、40代後半以上の人なら川遊びをしたことがあるのではないだろうか。私が小学生の頃には地元の川でちょっとした水泳や、川に入って魚などを捕ったりもできた。
つまり、川は広場と同様に子供にとっての遊び場でもあったのだ。しかし、川が時代の変化によって汚染されはじめ、また自然のままでなく周囲がコンクリートで固められていったのだ。そんな環境では魚も住み心地が悪そうにも思える。
地元の川にはたくさんの大きな鯉が群れをなして泳いでいるのが見える。しかし、コンクリートで囲まれた川では味気ない感じもするが。まあ魚が見えるだけでもましなほうかな。