<無印良品>というのがあるのなら、<簡単良品>というやつがあって

「こころの天気図」五木寛之著より。
言いたいことのメインは、身近にあるものの多くが複雑になってきてきまったがむしろ簡単なものこそ良品ではないか、という意味だ。
ケータイにしても、パソコンにしても、テレビやビデオなどには機能はたくさんあるものの日常ではそれほど込み入った使い方はしていない。
パソコンも使っているのはその能力のごくごく数パーセントに過ぎない。私など1%も使っていないかもしれない。そう考えると高い買い物をしているようでもある。
単純な機能、明快な操作性、大きくて見やすい表示、それこそがシンプルでベストという考えがあってもよさそうだ。
またブログが一気に広まったのも、ホームページより簡単にできたからに違いない。なにしろ書いてアップするだけなら手間暇がかからなくていい。お手軽で簡単がなにより。
そのブログにしても会社としてはユーザー向けにいろいろな機能を考えているようだが、もっと求められているのは快適にアップできることに違いない。(時間帯によては重かったり、エラーが発生したり・・・)

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便箋とか、葉書とか、レターセットなどに目がない・・・

「こころの天気図」五木寛之著より。

これはちょっと意外なことだったが、五木さんは手紙恐怖症が持病だというくらいに手紙を書くのが嫌いなようだ。書くべき礼状や、当然の返事さえ書かないことも多いらしい。
そのため随分といままで損をしてきたこともあるという。まあ、常に人気作家で多忙だからある程度は許されるのかもしれないが。手紙を書くのが苦手にもかかわらず、便箋、葉書、レターセットには目がないのだ。一流の文房具店にいくとかなりの量を買ってしまうようだ。
しかし、それらは永遠にかかれない便箋だったりする。そのように極端に手紙をかかないということでエッセイのネタになってしまう。逆に大作家のなかには病的な手紙好きがいるようだ。
19世紀のロシアの作家のチェーホフは1975年から1904年までの29年間で、なんと4400通の手紙を書いたという。彼の30巻全集のうち13巻分が手紙だった。
ツルゲーネフは5500通かいている。全28巻の全集のうち手紙の占める分量は13巻だという。しかし、まだ上がいた。文豪トルストイは9037通の手紙が確認されているというから驚き。
ということは、病的なほど手紙を書くのが好きならば、大作家になれる可能性もある?(まあ、たいていはその前に本当の病気になってしまうかも)


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<芸術>という言葉・・・どことなく立派で<芸能>よりは上品そうな雰囲気があるが・・・

「こころの天気図」五木寛之著より。
一般的に芸術院会員という言葉と比べると、芸能人というとやや軽いイメージがあるのは確かだ。ところが、芸術はもともと芸能の一部が独立して発達したものだったのだ。ここには次のようにあった。
「芸能の起源は神や仏に捧げられる宗教的な行為にあった。歌も漫才も生花もスポーツや文芸も・・・」と。
芸能とはいっても、それが古典芸能ともなれば芸術とほぼ同じような意味合いをもっているようにも思えるが。たとえば、伝統芸能の歌舞伎、能、狂言・・・などは鑑賞するだけでも高尚な趣味ともいわれそうだが・・・
また、落語芸術協会(会長桂歌丸)というのがあるが、落語は古典芸能でもあり芸術でもあるということかな。となるとその区別や境目などどうでもよさそうだ。(私たちを楽しませてくれさえすれば。)


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日本という国の記号となる「代表者」
「和を継ぐものたち」小松成美著より。
たまたま、前日伝統芸能や古典芸能といった言葉を使ったら手元にあった本はちょっとそれにリンクしたものだった。
ノンフィクションライターの筆者は日本独特の技を継ぐ職人ともいえる人たちをインタビューしていた。年代は20代から50代の人たちだったが、初めて知った職業も多い。
その道の第一人者となるには長い年月の修行が必要とされる。親の代からずっと引き継いできた人たちもいるが、一般の会社員から伝統技術の腕を磨いた人たちもいた。
ここに紹介されている和に関する仕事の一部は次のようなものだった。三味線奏者、篠笛奏者、弓馬道、狂言師、琵琶奏者、漆作家、釜師、扇職人、文楽人形遣い、鵜匠、刀匠、江戸筆職人・・・
和に関する職業・・・まったく想像したこともない仕事の世界がそこにはあった。各職業で数百年という伝統を支えているのはほんのわずかな人たちだったこともわかる。私たちが知らない世界でしっかりと、和を継いでいる人たちがいることを知っただけでも興味深いもの。
どれも技術を体で覚え指先の微妙な感覚まで鍛えねば熟達できないものばかり。そこにはマニュアルのようなものはほとんど無い。見て真似て体に沁みこませてゆくのだろう。

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約三百年前に作られたものが、今でも完璧に動く・・・
「和を継ぐものたち」小松成美著より。
実はこの本を読むまでは、“尾陽木偶職人”を“びようでくしょくにん”、と読むことも知らなかった。それを聞いてもどんな職業なのかもわからない。わかりやすく言えば“からくり人形師”となる。
かつてテレビで「茶運び人形」を見たことを思いだした。江戸時代から続く日本独特の技でもある。その九代目を継いでいるのが玉屋庄兵衛さん(1954年生れ)だった。
「からくり人形は日本のロボットの原点ともいえる。」とご本人も述べている。それほど精巧なものが江戸時代から作られ今でも動くというのはすごいこと。
今でも動くというのは木を使っているからだという。それがプラスチックなら劣化して割れ10年も持たないだろうともいう。
ピン、歯車、胴、頭、足、顔とそれぞれ使う部分によって木の種類も異なっている。昔の人形の修理も同じ木を使っている。また動力のゼンマイにはクジラのヒゲを使用している。
作るためには設計、工学、力学さらには芸術的センスも必要とされる。しかも驚いたことには、人形の設計図もないという。こんなところにも技術立国日本の原点を感じる。
庄兵衛さんのからくり人形は大英博物館にも納められている。)