電話は便利だと思っている人たちはすこし誤解している。

「手紙の周辺」エッセイ集より。
このすぐ後には次のように続いていた。「かける側には簡便である。かけられる側にはありがたくないことが多い。」と。これは「手紙のある生活」と題して外山滋比古氏が書いていた部分にあっフレーズ。
つまりそれは相手の状況が見えないからだろう。ちょうど睡眠に落ちたばかり、食事中、風呂、トイレ、仕事に集中しているとき、大事な人との会話中、体調が悪くて寝込んでいるとき、勉強中、忙しい時・・・数え上げたらきりがない。
それに引きかえ、郵便は控えめだ。いまは忙しいからあとで、といえばそこでずっと待っている。つまりひと区切りできた時間に読んでも手紙は不機嫌にならない。もっとも、自分がすぐにでも読みたければそれはそれでかまわないが。
返事が必要なら、自分のペースで書けば済むことだろう。ところで、手紙つながりだが、今日シネコンで「硫黄島からの手紙」を観てきた。そして「それにしても主役の渡辺謙は貫禄があったな〜」などと余韻に浸りながら歩いていた。
すると路上でたまたますれ違った従兄弟が声をかけてきたのだ。それはまったく予期しないことだった。実はそのとき私は帰りを急いでいたのだが、自分のペースで話しかけられちょっとイライラしてしまった。
路上などでいきなり声をかけられるのも、突然の電話とまったく同じだと思えた次第。“かけられる側にはありがたくない”のは電話ばかりではなかった・・・な。


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失敗には何か人をひき付けるものがある。

日経新聞、夕刊」2006.12.18付けより。
これは「失敗学」の創始者といわれる畑村洋太郎氏(工学院大学教授)が述べていることだった。よく、ノウハウ本にはこうして成功した、うまく行ったというような体験談や実例が多く書かれている。
しかし、その通り自分がやったからといって、うまく行かず、かえって失敗することのほうが多いのではないだろうか。それは“その人だから”成功したということもあるだろう。人という条件が異なれば、結果も異なるのは当然かもしれない。
筆者は学生に失敗の実例を紹介するととたんに熱心に聴き入ったという。これは以前私がある企業コンサルタントから聞いた話とも一致している。その人は講演会で企業の倒産の実例をテーマに話をしたところ、参加者は実に熱心に聞き盛り上がったという。
こうすればうまくいくという話しよりも、こうすると不具合が起きたり失敗するという実例はやはり興味深い。そこから学べることは多いからだろう。
うまくいった話ばかりのなかには、かなり誇張されたり脚色されたりしていることもありそうだし・・・