「別格扱い」の一冊がある。

日経新聞、夕刊」2006.12.8付けより。
これは、「こころの玉手箱」というコラムのなかで、荒蒔康一郎氏(キリンビール会長)が述べていた箇所にあったもの。(このコーナーでは人生の先輩達の思い出話が数回の連載で語られている。この日は荒蒔さんが学生時代に出会った本について語っていた。)
数日前にこの約10センチ四方ほどのこの記事を読んでなぜか何かがちょっと気になっていた。しかし、それが“何か”がわからなかったので、とりあえず切り抜いておくことにしたのだ。そして数回読み返し、2日ほどしてからようやくその気になる箇所が自分なりにわかってきた。
筆者が大事にしている本があった。その一冊は引越しのたびに大量の本を箱詰めするが、そのとき取り出しやすいように「別格」扱いしている本があったのだ。『化学史』という専門書に近いものだった。その本に出会ったのは1960に東大理科二類に合格した日だったという。
つまりそのとき筆者は18歳頃だったことになる。そして、今を考えればもう46年も経っていることになる。実は私が気になっていたのは、この“50年近い年月”だったのだ。そして、荒蒔さんは今でも暇があればその黄ばんだその一冊を手に取り読み返しているという。
考えれば、すごいことだと思える。そんなに長い間目に付くところに置いておくような本はあるだろうか。座右の一冊ということだろうか。つまり自分の人生ともに生きている本にも思えた次第。そう思ってふと、自分の書棚を眺めてみた・・・・。
引越しをしても、すぐに取り出せる本・・・まるで海外旅行をしたときに税関でパスポートを取り出すことを連想してしまった。



好きな分野の勉強に打ち込める。
日経新聞、夕刊」2006.12.8付けより。
前日の続きになる。筆者は1960年3月に大学に合格し、その足ですぐに渋谷駅に降り立ち駅前の大型書店に足を踏み入れている。いよいよ大学生で、これから好きな分野の勉強に打ち込めると思い、希望に満ちた面持ちで科学書の棚に向かったのだ。
そして、出会ったのが『化学史』という一冊だったのだ。読むたびに感銘を受けているようだ。そして、やる気に満ちているこの瞬間にこの本に出会ったタイミングがポイントだったように思える。
というのも、この本は白水社から1959年に出版されていたのだ。もしこの本の出版が一年遅れていたら、手にすることもなかったかもしれない可能性もある。人生にはすれ違いということはよくある。一生付き合える本との出会いもそうかもしれない。
たまに私の一生に影響を与えた本などという記事も目にするが、それもそのときの精神状態が左右しそうだ。荒蒔さんのその時の気持ちはフレーズにも取り上げたように「好きな分野の勉強に打ち込める。」というきわめて前向きな状態だったからこそ一生手元に置きたい本に出会えたのだろう。
もしかしたら、私にとってこれかもしれないと思ったのは『道は開ける』(デール・カーネギー著)だった。もう30年ほど前に兄から譲られた本だった。背表紙は日焼けして薄くなっている。しかし、苦しい時に何度か辞書を引くようにして読んだ記憶がある。また、かつて苦しんでいる人には書店で買い求め贈ったこともあったな。


皆が目を向けない部分の変化に気づくことこそ独自の発見への第一歩。
日経新聞、夕刊」2006.12.8付けより。
前日と同じ短いコラムの中にあったもの。しかも筆者が最も言いたかったのはこの部分でもあったのだ。『化学史』という本を手にした荒蒔さんは、それを読みながら「何が発見を生むのだろう」と考えている。
単純には粘りや探究心ではあるが、最も大切なことは、皆と異なるプライオリティ(優先順位)を持って物事を見ることだと述べている。すでに、世間が大事なことだといっていることに気づいてもしかたがないのだ。
日常生活でも仕事でも、どうでもいい、取るに足らないと思える部分の中にも関心を持つことで変化に気づくこともできる。筆者はそんなことをこの一冊の黄ばんだ本か学んだようだ。
大きな変化には誰でも気づくが小さな変化は気づきにくい。実用新案などもそんなちょっとした創意工夫でできているような気もするが。そしてサービスの発明をたくさんできて実行した人は素晴らしい営業マンになれる・・・かも。