「切手」も切れない関係。

「時を駆ける美術」森村泰昌著より。
たまたま昨日、郵便について触れたので思い出したのが、上記フレーズだった。森村氏にとって美術との出会い、それは切手だったという。たしかに昔は浮世絵や絵画などを題材とした切手もあった。
私も子供のころは切手収集をしていた時期があった。とくに記念切手は絵柄を見るだけでも楽しいもの。べつに値上がりを期待していたわけでもない。絵柄はシリーズものになっているものも多い。
たとえば、植物、野鳥、昆虫、歴史上の人物、国定、国立公園、数年前からは世界遺産などもシリーズで発行されている。切手によって知らないこともいろいろ学べたりもする。そんな意味では、ミニ図鑑的な要素もありそうだ。
中学、高校ぐらいになると小遣いでシートで買ったりもしていた。成人してから別の趣味になった時にいくらぐらいで引き取ってもらおうと切手取扱店にいったことがあった。聞いてみると表示金額の8掛けとのことで諦めたことがある。
それなら、そのまま使ったほうがまだましだと思った。結局シートから切り離してバラバラと使ってしまった。しかし、記念に各シートの数枚ずつは記念にしまってはあるが。
さて、郵政民営化となれば今後切手はどうなるのだろうか。宅配業者に任せるなら郵便物はたんに相手に届けばいいことで、切手は不要になってしまうかもしれない。もし、そうなったとしたらちょっと寂しい気もするが・・・(出来れば郵便と「切手」も切れない関係であってほしいもの)
蛇足
今朝の朝日新聞朝刊に、アメリカの中間選挙不在者投票の封筒に「数千万円の“レア物切手”が使われていた」という記事が目に入った。それは1918年の発行で複葉(飛行)機が逆さに誤印刷されたものだという。
「逆さのジェニー」と言われる24セント切手だが、昨年ニューヨークのオークションで未使用の4枚つづりのものが約3億1千万円で落札されたということだった。しかし、今回のものが本物であるかどうかはまだ判明していないようだ。