とにかく使えるものを捨てることには今でも罪の意識を覚える。

朝日新聞、土曜版」2006.11.11付けより。
これはある中国人ジャーナリストが、新居に引っ越した時に感じたことだった。古い家電製品や家具が不用になった際にはちょっと悩むことではないだろうか。そんな時タダでも引き取ってもらえる人がいればありがたいもの。
それほど大きなものでなくても、使えるものなら出来るだけ長く使いたいものだ。物によっては愛着が増してきたりする。また、同じものでも別の用途に利用できるかもしれない。
昨日触れた辞書なども、いったん学生時代を過ぎるとその使用頻度はぐっと減ってくる。英語の辞書などとくにそう思える。ところが、そんな辞書も捨てるには忍びない。使い込んでほどよく引きやすくなっていたりする。
高校時代に買った分厚い英英辞典や英和辞典なども今の生活では全く必要はないものだ。でも捨てるのはもったいない・・・やはり貧乏性かもしれない。
人から見れば、ただの不用品に過ぎないものも、個人にとっては思い出深かったり、思い入れがしみこんでいる場合もある。ところが、あるときふと気まぐれでそんな辞書も引いてみたくなることもある。
実際大きなものはそう長くはとってはおけない。しかし、適度な大きさのものであれば、とっておくと意外なときに役にたったりするもの。大工道具や細かい部品や工具などがその例だ。(こんなものが使えた!と思って助かったことも何度かあったな)