教科書という基礎的な栄養が必要なのはわかっているんだけれど・・・

「時を駆ける美術」森村泰昌著より。
一般的に学校の教科書というのは実に退屈なものだ。それはまたスポーツをする際の準備運動の味気なさともちょっと似ているかもしれない。しかし、森村氏はやはり精神の基礎体力を育てるには(教科書も)必要であるという意味のことを言っている。
基礎とか基本はたいていつまらなくて、私などいきなり応用編から入ってしまうこともあるが。森村氏は美術家であるので、この本の中には彼独自のの絵画作品の見方が披露されている。
それらは私たちがかつて学生時代教科書で習ったこととも異なっている。意外にもユニークであり分かりやすいものだった。
私などは振り返ってみれば、小学校時代の図工は好きだったが、中学時代以降の美術にはなじめなかった。つまり実技は楽しめたが教科書の知識がダメだった。また図工という響きには親しみさえ感じられる。
もっとも、実技科目としてなら音楽や体育なども、声を出し汗を流すことで本当の面白さは理解できるのだろう。同様に美術鑑賞もいくら知識を詰め込んだところで、本当の価値は見て楽しめるかどうかだろう・・・な。
もちろん、何も知らないよりそれらの絵画の時代背景や歴史など、いろいろなことを知っていればより楽しめるかもしれないが・・・