まだ今日は一度も土を踏んでいない。

「ことばのご機嫌」秋庭道博著より。
べつに大都会で生活しているわけでもないのに、土をまったく踏まずに過ごしていることに気づいた。一日中土を見ないこともあるかもしれない。むしろほとんどは土など意識して過ごすことはないものだ。
家から出るとコンクリートかタイルの上を歩き、舗道はアスファルトになっている。あとは乗り物や駅や建物の中を歩くことになる。また実際に歩き回るといっても、舗装されていない砂利道など歩く機会はほとんどない。
だからこそ、実際に土の道を歩くとなぜかほっとし、懐かしささえ覚えることがある。かつては砂利道があった。まだ小中学校に通っているころは、通学路には土の道があった。また、自宅を一歩出ると土の庭だった。
私が通った高校の校庭は春先になると決まって土ぼこりが上がっていた。そして、雨に日には水たまりができていた。それはグラウンドの顔でもあった。だからこそ、懐かしさがあるのだろうか。
たまに田んぼのあぜ道を歩いたりすると、デコボコの道が足に響いて心地がいい。嬉しくて走り出したくもなったりする。野球なども人工芝ではスライディングの際に火傷しやすい。転がるボールのスピードも速い。逆に天然芝はレギュラーしやすくそれがゲームを面白くすることもある。(野手には気の毒だが)
自宅の庭には家を建てたときから芝生が植えられて、その外側は家庭菜園や花壇のためのスペースになっている。だから、たまには土の上を歩くことはあるが毎日ではない。足の裏には土踏まずがあるが、実際足自体も土を踏まなくなってしまった・・・な。