自由を楽しむためにはコストがかかる・・・

「これも経済学だ!」中島隆信著より。
わかりやすい一例があった。中学、高校時代に制服で通学していて、大学に進学すると急に服装が自由になる。すると同じものを着続けるわけにはいかず、洋服をあれこれ変える必要もでてくる。結局、そのためにコストもかかってきてしまう。
中学、高校で校則が厳しい私立校にくらべて、公立校は比較的自由度がある。とくに女生徒は、茶髪にしたりマニュキアをしたり、化粧までして学校に行っている。まあ、これはウチの娘の場合ではあるが。勉強とはまったく関係ないことばかりやりたがる。(話しがそれてしまった。)
大学生になってファッションセンスにそこそこ優れていれば、自由な服装も楽しむことができるだろう。ただし、十分な金銭的余裕があればだが。ところが、そうでもない学生にとっては、下手なコーディネートで周囲から笑いものになってしまうかもしれない。(センスがない奴だなどと)
別なところでは、食事のコース料理は、おまかせ的な意味合いがある。組み合わせの選択の自由度は限られている。せいぜい、どのコースを選ぶかだけだ。まあ、それでも料金次第でけっこう楽しめる。時にはゼイタクでもある。
また、異なるところでは、ホームページやブログでも自由度は考えられる。あらかじめテンプレート(雛形)が用意された簡単HPやブログでは表現内容が制限されたり宣伝が義務付けられていたりする。でも、そこそこお手軽に楽しめることは確かだ。
ところが、まったく自由に作ろうと思えば、いろいろと覚えたり勉強せねばならないことも多い。また、専用ソフトも買う必要もでてきたりする。結局、自由に作りたいと思えば、コストも時間も予想以上にかかることを覚悟せねばならない・・・ようだな。