「美しい」というのは、説明であって表現ではない。

産経新聞」2006.10.16付けより。
このあとには、次のように続いている。「なぜなら、『美しい』と思わせるのが表現なのであって『美しい』という断定は説明になってしまうからである。」こう述べているのは作家の曽野綾子さんだった。(「透明な歳月の光」というコーナーで)
曽野さんのような作家は作品を書く時、表現はするが、説明してはいけないといわれているらしい。だから、一般に「美しい」といわれても、専門家からみると、インパクトの弱い言葉だそうだ。さすが作家らしいこだわりだ。
曽野さんがこだわったのは、安倍総理の書いた『美しい国へ』という本のタイトル自体が惹きつけられるものでなかったからだった。逆に私たちはいとも簡単に「美しい」という言葉を使いすぎているのかもしれない。
もし、「美しい」を描写するとすれば、いくつもの語彙や表現を重ねなければならないだろう。また人はそれぞれ、美しいと感じるものは微妙に異なるかもしれない。
曽野さんは仕事をしていて、一瞬でも「美しい」と書きたくなったら、その場で執筆をやめることにしているという。それは疲れていてさぼりたくなっている証拠と判断しているようだ。
ある対象を見て、「美しい」と感じそれを説明せずにどう表現できるか、そのことで作品に彩りや膨らみがでるのだろうか。作家はプロとして言葉にこだわりを持っている。私も仕事をするうえで何かこだわりはあるだろうか・・・