仕事は完璧を目指すものかもしれないが、結果として完璧でないことの

「ことばのご機嫌」秋庭道博著より。
たまたま、今夜も昨日の日記に引き続いて「仕事は〜」というフレーズから始まっていた。(まったくの偶然だった!)こんなことを念頭に置いておくだけでも、ちょっとは気が楽になりそうな気もする。
仕事を終えた直後、自分ではけっこう完璧だったと思っていても、あとから考えると“あれはああすればよかった、こうすればよかった”と後悔することがしばしばだ。仕事ばかりではなく、日常生活ではそんなことの繰り返しかもしれない。
ここでは、サルバドール・ダリの次の言葉を引き合いに出していた。「完璧を畏れるな---
だれも到達できないのだから」。あの天才画家のダリでさえ完璧な仕事をなすのはたやすくないと感じている。ましてや凡人にはさらにムリっていうことかな。
たとえば、この日記にしてもパソコンで文字を打っている際には、いとも簡単に漢字変換してくれる。ところが、同音異義語の間違いは頻繁に起こりうる。まあ、「それは意外だ」が「それは以外だ」になっていても文脈から明らかに間違いだとわかれば、罪はない。
やはり、ある程度の推敲は必要かな。それよりも、いったいなにを書いているのかわからないほうが問題・・・かな。(自分の日記の場合は)