「必要条件」ではあっても「十分条件」ではない。

日経新聞夕刊」2006.9.27付けより。
これは二宮清純氏がピッチャーが成功する上での条件について速いボールのことを語っていた部分にあった。一般的にもよく言われるとことだが、投手は速いボールを投げられればそれに越したことはないしかし、それだけでは十分ではない。コントロールや打者との駆け引き、マウンド度胸、体力、精神力さまざまなものが必要とされてくる。
よく本格派ピッチャーといわれる人はオーバースローが多い。かつてはアンダースローの大投手も存在していた。私の記憶にかすかに残っているのは、杉浦忠(故人)、秋山登(故人)、山田久志足立光宏くらいだが。最近では下手投げのエース級は千葉ロッテ渡辺俊介程度だろうか。
現役の渡辺が『アンダースロー論』という著書を出した。その本の紹介を二宮氏がしていた。今まで村田兆治、星野信之、川口和久など何人かの投手が“投手論”や自分の経験のようなものを書いてきたのを読んだことがあった。しかし、それらはたいてい現役を退いたあとのことだった。このように現役のうちに“投手論”を書く人も珍しい。
最近では高校生でも時には150キロ級のスピードボールを投げる。西武の松坂も高校時代からの活躍をプロに入ってからも才能を開花させすぐさま本格派投手になっている。また、逆に渡辺のように別にスピードボールを投げられなくても、勝てているピッチャーもいる。
彼はいかに三振をとるかではなく、いかに打たせアウトにするかが計算できるのだろう。結局はバットに当てられれもアウトに出来ればいいのだ。結果的に打者に勝てれば。打たせて取る配球、つまり技巧派ピッチャーもまた見ているほうには楽しいかも。
ところで「必要条件」ではあっても「十分条件」ではないことって、日々の自分たちのまわりにもいろいろありそうだ。生活するにはお金は必要条件だが、幸せになろうと思えばそれだけでは十分条件ではないとか・・・