作品と作者のプライバシーは紙一重。

産経新聞」2006.8.3付けより。
これは「私の失敗」というコーナーで見城徹さん(幻冬舎社長)が言っていたこと。いろいろなところでこの人のインタビュー記事などを見たことがあるが、実にエネルギッシュな人という印象をうける。数多くのベストセラーを出している。商才も抜群に思える。
彼の性格のせいか、作家に対しても思ったことをずばずば言ってきたようだ。仕事に対して厳しいといえばそうも思える。そして時にはプライバシーにまで立ち入ってしまい失敗したこともあるようだ。そして、がむしゃら過ぎてある作家とは絶交にもなったという。
作家は作品世界のなかに自らの体験、心情を入れることが多い。フィクションとはいっても体験や事実に基づいた作品はそれなりに臨場感や説得力もあるもの。そして編集者はいかに作家から生きざまを取り出すかにエネルギーを注ぐのだろう。
彼の言葉では「人間の精神という原料から、本という製品にするんだ」とまで述べている。だからこそ、作品と作者のプライバシーは紙一重なのかもしれない。すさまじいバイタリティーさえも感じられる。
ところで、この作品という部分をブログ(日記)と置き換えたらどうだろう。公開された日記の中にも書き手のプライバシーはたびたび目にすることもある。たとえばそれは、その人の人間関係だったりする場合もある。家族や知人、友人、同僚との悩みなども綴られていたりする。
もし、その人を知っている人が読んだら恥ずかしかったり動揺したりしそうな記事(日記)もあるだろう。人には言えない、でもウェブ上なら書けることも・・・。まあ、自分のことをよく知らない第三者ならそれほど気にならないのかもしれない・・・な。