ツモリはどこまでもツモリ・・・

「夕顔」白洲正子著より。
随筆のなかのひとつで、白洲さんはものごとをほんとうに知るということはそうた易いことではないと述べていたが、そのなかで2つのことを引き合いに出していた。
そのひとつはかつての人気番組「知ってるつもり?!」だった。わずか1時間足らずのこの番組をみて、すべてを知りつくしたつもりになってしまってはいけないよ、と忠告していた。
似たような番組はいまでも時どき放送されている。そこでは、視聴者に向かって、“知ってるつもりだろうがもっときっちりと教えてやろう”というふうにも思えてくる。しかし、それで知ったつもりになっても、あくまでそれは“つもり”に過ぎないことだと述べている。
同様なものとして、ふたつめに「体験学習」を取り上げていた。これも、たとえば小中学生が数日間、農業の体験をしたとしても、決してすべてを体験したことにはならない。
あらかじめお膳立てされて、いい部分だけをさらっと体験しているに過ぎない。本当の体験は、それまでの長年の労苦の中にしかないものだ。農業以外でも織物、木工、陶器・・・などすべて物を作る以前のプロセスには手間がかかるもの。
そこに、難しさも楽しさもあるようだ。どんなものもお手軽にわかったものはわかったつもりでしかないのかも・・・(いつも知ったかぶりしている自分を反省せねばな)